第1章 Under the rader
強制捜査の当日。港湾地区の廃倉庫は、公安の重苦しい空気と潮騒の音に包まれていた。
突入の直前。防弾ベストの重みに耐えながら、櫻井は松本の前に立った。いつものようにヘルメットの歪みを直してやるその手は、これまでにないほど優しく、そして微かに震えていた。
「松本、俺の合図があるまで動くな。……いいな」
職場の「櫻井さん」が見せる完璧な仮面。しかし、その奥にある瞳には、かつてないほどの切実な光が宿っていた。櫻井は松本の頬を両手で包み込むと、周囲の目を盗むようにして、その額にそっと唇を寄せた。
「……愛してるよ、潤。」
それは、演技でも工作でも、他人を欺くための甘い毒でもなかった。剥き出しの、一人の男としての告白だった。
その瞬間、松本の心臓が冷たく凍りついた。憧れの、愛する人からずっと欲しかった言葉。それをこの土壇場で、この温度で受け取ったとき、松本は残酷な真実を悟った。
(今日、この人は僕の前から消えるんだ)
この「愛してる」は、未来を誓う言葉ではない。すべてを終わらせ、自分を置いていくための、最期の決別の合図だった。