第7章 確信犯のメガネ。
多忙な彼。
久々の逢瀬も数十分、数時間なんてことは当たり前だった。
今日は1時間。わずかの滞在だったはずなのに、部屋の空気はまだ彼の熱を帯びているようで、うさみはすぐには寝る気になれなかった。
「……本当、嵐みたいな人」
と、独り言を漏らしながら、二人で少しだけ腰を下ろしたソファのクッションを整える。
その時だった。
サイドテーブルの端、読みかけの本の横に、見慣れない「黒い影」が落ちているのに気づく。
「……あ」
そっと手を伸ばして拾い上げたのは、重厚感のある黒縁の伊達メガネだった。
彼がよく愛用している私物。
今日、彼が玄関に入ってきた時は確かに着けていた。
抱き合った時、頬に当たって少し冷たかった感触を覚えている。
うさみはそのメガネを両手で持ち、そっと自分の顔に寄せてみた。
レンズ越しに見えるいつものリビングが、彼が見ている世界の色に染まる。
そして、鼻腔をくすぐる、あの香り。
フレームの…テンプルから、彼自身の体温と混ざり合った、落ち着いたウッディな香りが微かに漂ってきた。
「……わざと、だね」
あれだけの頻度で愛用している、大事なメガネを忘れていくなんて、普通に考えればあり得ない。
これは「またすぐに来る」という無言のメッセージなのか、それとも、会えない時間の寂しさをこれで埋めろという、彼なりの強引な優しさなのか。
どちらにせよ、もう、彼の術中にハマっている。
うさみは自分の部屋にあるジュエリーボックスの隣に、その黒縁メガネを大切に置いた。
ただの忘れ物。けれど、それは彼がうさみの部屋に置いていった、最も確実で、最も甘い「再会の約束」だった。