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彼はアイドル。

第1章 彼氏は自担です。




都心の夜景が、結露した窓の向こうでぼやけていた。

うさみがこのマンションを選んだのは、半年前。会社員としてがむしゃらに働いて積み上げてきたキャリアと、それに見合うだけの貯えを少しだけ切り崩して決めた、「彼」を迎え入れるための聖域だ。

オートロックを抜け、エレベーターホールには監視カメラ。
「ただの会社員」の身の丈には、少しだけ余る家賃。けれど、芸歴19年、一寸の隙も見せずにトップを走り続ける寺西拓人を守るためには、この程度の「背伸び」は必要経費だと思っていた。

「……はぁ……」

玄関の重い扉を閉めた瞬間、堰き止めていた溜息がこぼれた。
今日は、プロジェクトの最終局面で思わぬミスが発覚し、部下のフォローと上層部への謝罪に追われた。これだけ長く働いていれば、ミスなんて慣れっこだと思っていたけれど、キャリアを重ねたからこそ、その一つの綻びが自分を否定するように重くのしかかる。

足音を忍ばせてリビングへ向かうと、部屋の明かりは落とされ、間接照明だけがオレンジ色の柔らかな影を落としていた。
ソファの背もたれから、見慣れた少し長めの指先が見える。

「……あ。おかえり」

彼の声は、テレビで聴くそれよりもずっと低く、柔らかな温度を孕んでいる。
彼はゆっくりと歩み寄り、うさみの顔を覗き込んだ。その瞳には、アイドルとしての鋭さはなく、ただ一人の男としての静かな光が宿っている。

「……なんか、あったな。その顔」

「……わかる?」

「わかるよ。……出会った頃から、お前が踏ん張ってる時の癖、変わってないし」

彼はそう言って、少しだけはにかんだように笑った。
2008年。お互いにまだ、何者でもなかったあの頃。
彼は慣れないダンスやマイクに食らいつき、うさみは未来に繋がる何かを必死に掴もうとしていた。
言葉を交わさずとも、同じ時代を、違う戦場で、ただひたすらに生き抜いてきた。その年月が、今、彼の手のひらを通してうさみの肩に伝わってくる。

拓人はうさみのコートを受け取ると、そのまま彼女の背中に腕を回し、自分の胸へと引き寄せた。

「……お疲れ様。よく頑張ったよ、今日まで」

「今日まで」という言葉の中に、彼が知っているうさみの、そして自分が歩んできた気の遠くなるような日々がすべて込められている気がした。

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