第12章 あの日の夜に、心が還る
想花side
カレーが煮込まれていく鍋の前で、私は火加減を見ながら汗をぬぐった。
勝己と交わす無言のやり取りは、いつの間にか当たり前みたいになってて。
……そんな心地よさを、ふわりと破ったのは──
「よっ、星野ちゃん!」
パキンと明るく響く声に振り返ると、回原くんが笑いながら手を振っていた。
『……あ、回原くん?どうしたの?』
「いやさ、ちょっと目ぇ離した隙に超いい匂いしてきて。
で、見たら星野ちゃんがキッチンに立ってんじゃん?そりゃ寄るしかないっしょ」
そう言って、ぐいっと距離を詰めてきた。
近い。思わず、息が止まる。
『ちょ、近……』
「んー……この辺、だな」
回原くんは私の肩越しに身を乗り出して、鍋のふちを覗き込む。
肩が触れそうな距離、というか、もう触れてる?
「これ、味見しても平気? ──星野ちゃんが作ってるやつだろ?」
『え、う、うん……!あ、でも熱いから気をつけて?』
彼はにかっと笑って、スプーンですくって一口。
ぱくりと口に入れた次の瞬間──
「……あっつ!!……けど、うんま!!」
『ふふ、よかった』
そう笑うと──急に、ふっと真顔になって。
「……なんかさ。星野ちゃんが誰かと並んでるの、ちょっとズルいなって思った」
『……え?』
目が合った。
ふざけてるような空気のまま、でもその目だけは、真剣で。
「ま、いっか!とりあえず今日のカレー、俺が一番楽しみにしてっから!じゃ、後でな!」
ぱっと明るく笑い直して手を振り、軽やかに離れていった回原くん。
けれど私はその場に立ち尽くしたまま、胸の奥がどくんと音を立てた。
(……なんだったの、今の)
そんな私の後ろで。
勝己が無言でお玉を握り直し、焦凍は火の前から一歩も動かず鍋をじっと見つめていた。
ふたりとも、言葉ひとつないまま──だけど、熱だけがじわりと滲んでいた。