❁✿✾ 落 花 流 水 小 噺 ✾✿❁︎/イケメン戦国
第5章 掌中の珠 後編
浴槽の縁に寄って凪が片手を湯へ浸す。じんわりとした暖かさがそこから伝わって来て、思わず面持ちを綻ばせた。光秀の返答通り、熱過ぎずぬる過ぎずのそれは子供でも入れる程度の温度に調整されている。暗に沈んだ事を告げる幼子へぎょっとしつつも、凪がそっと浴槽の中へ身を沈めた。光秀の隣に並んで浸かり、はあと吐息を零す。
「あったかくて気持ちいい。それに檜のいい香りがする」
「これは檜の香りでしたか。落ち着く香りですね」
浴槽や床板が上質な檜で作られている事から、湯がそこに流れる度、ふんわりと優しくも上品な香りが漂って来る。リラックス効果をもたらすと言われているそれは確かに心地よさを呼び寄せ、心身の疲れを癒やしてくれているようだ。凪と同じくらい嗅覚が鋭い光臣が納得した様子で頷く。顔を母の方へ向けないようにしているのは、年頃故の恥じらいだろうか。
「こうして皆で湯浴みする機会など滅多にないだけに、たまには悪くないな」
「気に入ってくれたなら嬉しいです。ここの温泉の効能、疲労回復に血行促進、美肌効果とか沢山あるみたいなので、ゆっくり浸かってくださいね。光秀さん、特に体温低いんですから」
御殿の湯浴み場もそこそこ広いが、さすがに家族全員が一度に入れる程の余裕はない。浴槽を作れたとしても、どちらかと言えばそこを満たす湯を沸かすのが難儀だろう。改めて給湯器の有り難みを実感せざるを得ない。温泉の効能を上げて行くと、凪が光秀を見て首を傾げる。
「父上の場合、疲労回復も重要ですね」
「ときもひろう、いっぱいかいふくする!」
「お前は一体何に疲労したんだ、鴇……」
この家族旅行の日程における休みを確保する為、しばらく多忙を極めていた父を見上げて、光臣が笑った。その横では浴槽の端側にある段差に座りながら、光鴇がばしゃっと湯を揺らしながら片手を挙げている。湯そのものというより、こうして家族と共に過ごす刻を堪能出来る方が、余程光秀にとっては癒されるひとときだ。