第19章 響箭の軍配 弐
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─────雨が降り出し、両軍が撤退したその後。
天幕の中では男が実に愉快な様で盃を傾けていた。手にした扇子をぱしりと自らの太腿へ軽く叩き付け、武将が注ぐ祝い酒と称したそれを一気に呷る。徳利を両手に持ち、自らの主君が実に機嫌が良い様を複雑な面持ちで見つめていた男になど気付かず、小国の大名は天幕内へ笑声(しょうせい)を響かせた。
「見たか、政忠(まさただ)!あの魔王を我が軍が追い詰めた様を!お主の働きも実に見事であった。注いでばかりおらんで呑め」
「……は、お言葉に甘えさせて頂き、一献だけ頂戴致します」
「まこと生真面目な男だ。それがお主の良いところだが」
「恐れ入ります」
自らが使っていた盃を手渡せば、政忠と呼んだ武将が両手で受け取ったその器へ徳利を傾ける。己の申し出へ硬い声色で返答した生真面目な臣下に対し、大名は何処となく満足げに笑みを深めた。満たされた盃を一度で飲み干した男は盃を主君へと返し、目の前の主が手酌で酒を注ぐ様を見て、水を差してしまうかと懸念しつつも、進言する事を取る。
「殿、どうかお控えを。夜襲などかけられでもしたら危のうございます」
「案ずるな、この大雨ではまともに動けん。しかし、清秀殿は素晴らしい策を授けてくださった」
ざあざあと激しい雨が天幕へ打ち付けられる。二重に張られたそれで幾分雨音は緩和されてはいるが、それでも聞こえて来る雨音の大きさは悪天候の度合いをよく表しているようだった。
万が一を懸念しての進言は大名自身によって跳ね付けられる。それでも本日の戦況に満足しているらしい大名は、机の傍で床几(しょうぎ)に腰掛けている一人の男へ視線を向け、絶賛の声を上げた。
「お褒めに預かり光栄です」
それまで伏せていた瞼を緩慢に持ち上げ、机上の地図へ視線を投げた男は大名の顔も見ぬまま、薄い唇にゆるりと笑みを刻む。長くすらりとした足を組み、優雅な所作で頬杖をついたとしても、殿の御前で無礼だと武将がたしなめられないのは、本日の戦況がその男の策により優勢だと自軍の兵達を思わせているからに他ならない。
「清秀殿も一献いかがですかな?」