第8章 仮初
「ならば、なぜ離縁せず、わたしをこの屋敷に置いたままになさるのですか!!」
間髪入れずに槍をさせたのは、嫁いでからずっと思っていたことに他ならない。
今まで大人しく家にいたと思っていた菖蒲に静かに強い怒りをぶつけられたことに、鶴之丞はひるんだ。
しかし、真っ当な意見をつきつけようとする菖蒲に対し、死んでも見せたくはない己の弱さが暴かれようとする恐怖と焦りに理不尽に怒りへと昇華する。
「…勘違いをするな。高弟にあたるお前の師匠から天の才があるお前をつなぎ留めたいと思い娶ったまで。
これからも、神楽舞踊は私の一存で決めるのだ」
「わたしを育ててくださった師範とその他の高弟の立場にある方々が今まで神楽舞踊を盛り立ててきたのです。
その方々に祝福されてわたしはこの場におります。
そしてわたしも、わたしの誇りとこれからの神楽舞踊を案じて物を申しているのです」
菖蒲は嫁いでくる前に、育ての親でもある彼女の師範である静代に、先々代の事や様々なこの神楽舞踊を闇の事を聞かされている。
それを正し、後世に伝え繋ぐ使命もあると背負って並みならぬ思いで嫁いだからには引き下がれなかった。
「祝言を終えるまでは、いつもの旦那様でございました。夜伽の際、わたしの肩口を見て怯えていらしたでしょう。
わたしも幼き頃に鬼により元の家族を失っております。
思うところがあるのであれば申しつけくださいまし!」
鶴之丞の表情は一瞬驚いた表情を見せたのを菖蒲は見逃さなかった。
しかし、こちらを睨みつけたまま一言も発することもない。
決して己の弱さなど、こちらには死んでも見せないと言ったようだ。
現に、こちらを睨み続けたまま、唇も握る拳もこちらから分かるくらい震えている。
僅かな間が長い沈黙のように思えた。
屋敷の中はしんと静まり返り、少しの動作もできぬほどに張り詰めていた。
ただ、鶴之丞の声を荒げる息は、菖蒲が嫁いだ覚悟と比べれば保身に徹した小さい姿の証明ではないだろうかと疑ってしまう。
鶴之丞への落胆と「わたしがどうにかしなければ」という菖蒲の使命感が、彼女自身の頸を締め付けるように絡んでいった。