第38章 利休の匣〜2026信長誕生祭〜
広間での賑やかな宴は続いていたが、信長は朱里を連れて先に天主へと戻っていた。
朱里が湯浴みを済ませて戻って来ると、信長は廻縁に続く障子を開け放ち、風に当たっているところであった。
初夏に近い季節がら、湯上がりには熱く感じられるほどであり、さわさわと吹く風が心地良かった。
夜空には丸い月が浮かび、淡い銀色の光が信長の横顔を照らしている。
「信長様」
そっと声を掛けると、信長が振り返る。洗い髪の雫が月の光を受けて、きらりと光った。
「風に当たり過ぎると、お風邪を召しますよ」
「このぐらいどうということはない。今宵は寧ろ暑いぐらいだ」
そう言うと、手にしていた扇子でパタパタと風を送る仕草をする。
「ふふ…宴、盛り上がってましたね」
「あの様子だと朝まで続きそうだな」
「皆さん、楽しそうでした」
「秀吉が騒々しかったがな」
信長が僅かに眉を寄せると、朱里はふふふっ…と楽しげな笑い声を上げる。
「秀吉さん、今年も何日も前からすごく張り切っていましたよ。料理もお酒も珍しいものを取り寄せたり…信長様のために最高のものをって、あれこれ考えて」
「ふん。彼奴は昔から世話を焼きたがる性分だからな」
呆れたように言いながらも、その声音はどこか満足そうだった。
朱里は信長の傍へと歩み寄り、その隣にそっと腰を下ろした。
夜風が火照った肌を撫で、湯上がりの身体を心地良く冷ましてくれる。
広間では、いまだ宴の喧騒が続いている。
盃を打ち鳴らす音、高らかな笑い声、太鼓や笛の音色。
賑やかな宴の音色は、この場所にまでは届かず、別世界のように静かだった。
信長はしばらく黙したまま、夜空を見上げていた。
月の光を受けたその横顔は静かで、戦場で見せる鋭さとも、宴で見せた豪胆さとも違う、穏やかな色を帯びている。
「信長様」
「ん?」
「お疲れではございませんか?」
そう問い掛けると、信長は夜空から視線を外し、隣に座る朱里へと目を向けた。
「宴で疲れるわけがなかろう」
「でも、今日は朝から謁見も多数ありましたし…今宵は早くお休み下さいませ」
「戯言を申すな」
信長は隣に座る朱里の腰を抱き寄せる。湯上がりの身体はまだほんのりと温かかった。