第117章 有馬にて
宿へ戻る頃には、空は夜の帳に包まれ始めていた、
行燈の灯りが廊下に柔らかな影を落とし、どこか夢の中のような静けさが漂っている。
部屋に入ると、柱の檜の香りが町歩きの疲れを癒してくれる。
「湯の支度は整っております。どうぞご自由にお使い下さい」
女中が静かに頭を下げ、襖を閉めて去っていくと、静かな部屋に二人だけになる。
「信長様、先に…」
「行くぞ」
信長は短く言って立ち上がると、朱里が返事をする間もなく歩き始めていた。慌てて信長の背を追い、湯殿へ向かう。
扉を開けた瞬間、ふわりと立ち上る湯気に包まれ、外の世界が遠のいていくようだった。
昼間に見た黄金色の湯に月明かりが揺らめいている。
「あの、信長様?」
「入るぞ」
言うや否や信長の行動は早かった。目の前で躊躇うことなく着物を脱いでいく。慌てて背を向けた朱里に構わず、さっさと湯船の方へと向かう。
「貴様も早く来い」
振り返りざまにかけられた声は愉しげだった。
「は、はい…すぐに…」
恥ずかしさから小さくなって、そっと着物を脱ぐ。湯気に紛れて信長の姿は見えないのに、なぜか全てを見透かされているような気がして落ち着かなかった。
そろそろと湯船の方へと向かうと、先に入っていた信長が湯船の縁に凭れてゆったりと寛いでいた。
「冷えるぞ。早く入れ」
その一言に促されるように、朱里も黄金色の湯へとそっと足を入れる。足先からじんわりと広がる温かさに思わず小さく息が漏れた。
「…気持ちいいですね」
「あぁ、評判通り良き湯だ」
肩まで湯に浸かると身体の芯まで温まっていく感じがする。
不意に腕を引き寄せられ、気付けば信長の胸元にすっぽりと包み込まれていた。
「の、信長様…っ」
「この方が温まる」
「で、でも、お怪我が…」
胸元の傷が気掛かりで距離を取ろうと身動ぐが、信長はそれを許さない。腰に腕を回されて、湯船の中で互いの身体がぴったりと密着する。
「大事ない。気になるのなら、触れて確かめてみるがいい」
信長はそう言うと、相対するように朱里の身体の向きを変える。
湯の中で手を捕らえられ、胸元へと導かれた。
「あっ……」