第117章 有馬にて
足湯を出て、再び小道を歩いていると甘い匂いが漂ってくる。
道沿いにいくつも店が並ぶ中で、見慣れぬ看板に足が止まった。
「『炭酸せんべい』?」
看板の文字をゆっくりと読み上げる。炭酸という聞き慣れぬ響きが物珍しく、興味を掻き立てられる。
甘やかな香りに誘われるまま、自然と店先へ足を向けた。
店先には薄く焼かれた円形の菓子が籠に重ねられている。薄く軽やかで、触れればすぐに割れてしまいそうだ。
店の奥で職人達が忙しそうに煎餅を焼いているのが見える。
「信長様、この炭酸って何なのでしょう?」
「炭酸せんべいは、この有馬の湯から生まれた菓子にございますよ」
店の者が出てきて、にこやかに頭を下げる。
「ほぅ…湯から生まれた菓子だと?」
「はい。この地の温泉は“炭酸泉”と申しまして、湯の中に気が含まれております。その湯を用いて焼き上げたのがこの炭酸せんべいにございます。どうぞお手に取ってみて下さいませ」
店主の勧めに従って、信長は煎餅を一枚手に取ると指先で軽く弾いた。ぱりっ、と乾いた音が鳴る。
「随分と薄いものだな」
「はい。炭酸水を使うことによって、薄くて軽い食感の煎餅になるのです。古来よりこの有馬の湯は傷を癒す霊泉として知られております。あらゆる傷が湯に浸かれば癒えると言われておりますが、この菓子もまた、旅人の疲れを和らげるものとして評判を得ております。どうぞ召し上がってみて下さい」
その言葉に促されるように、煎餅を口に運ぶ。
軽やかな歯触りとともに、ほんのりとした甘みが舌に広がった。儚く溶けるようなその食感は決して主張することはないが妙に印象に残るものだった。
「美味しいっ!」
「美味いな」
二人同時に自然と出た感想に、店主は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「お気に召していただけましたか?」
「あぁ、この程よい甘さと軽さ…何枚でも食べられそうだ」
「実は、焼き立てはまた食感が違うのですよ。焼型から剥がしてすぐは、ふにゃっとしてしっとり柔らかく、その後どんどん食感が変化して、このようにパリパリになっていきます」
「ほぅ…面白い。それはこの場でしか味わえぬものだな」
その地に足を運び、そこでしか食べられないものを味わう。
まさに旅の醍醐味のようで、興味を掻き立てられる。