第117章 有馬にて
その夜、天主に戻った信長は朱里に秀吉との昼間の話を伝えた。
「まぁ、湯治ですか?」
朱里は少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに柔らかな微笑みを浮かべた。
「いいですね。信長様、戦の後もずっとお忙しかったから…怪我の療養にもなりますし。秀吉さん達も一緒に?」
「いや、貴様と俺、二人だけ、だ」
「えっ……」
(二人だけ…?子供達も一緒じゃなくて…?)
怪我の療養を兼ねた湯治の旅が、二人だけ、と聞いて一気に艶めいた色を感じさせる。
穏やかなはずの言葉の裏にどこか甘やかな響きが宿り、淡い期待に胸が高鳴った。
信長はそんな朱里の胸の内を見透かしたように、悪戯っぽく口の端を上げる。
「何を考えている?顔に出ているぞ」
「えっ、い、いえ…何も…」
慌てて視線を逸らした朱里の頬はほんのりと赤く染まっている。
(二人きりで湯治…なんて、変に期待しちゃった。遊びに行くんじゃなくて、怪我の療養が目的なんだから…)
久しぶりに信長と二人で出掛けられることが嬉しくて、自然と気持ちが浮き足立ってしまう。
「どこに行くか、もう決まっているのですか?」
「摂津に有馬という地がある。古来より良き湯治場として知られているらしい。俺も話に聞くだけで行ったことはないが」
「摂津なら大坂からもさほど遠くないですね。どんな所なのでしょう?怪我に効果がある湯だといいですね!」
「湯など、どこでも同じではないのか?」
「あら、違いますよ?怪我に効果がある湯もあれば、美肌の湯なども…湯によって効能は様々だそうですよ」
信長はつまらなさそうに肩を竦めたが、期待に満ちた目を向ける朱里を見て考えを改める。
「そんなものか…まぁ、貴様が寛げる所ならどこでもよい」
「もぅ…信長様の療養のための湯治なのに、私が寛いでどうするんですか」
「貴様もずっと気を張っていただろう?慣れぬ戦場に出て辛い思いもしたであろうし、正直、疲れが溜まっているだろう?二人だけの旅だ。気兼ねせず、ゆっくりすればよい」
「信長様…」
戦の後処理や日々の政にと、寝る間も惜しんで動き回っている信長の方が比べものにならないぐらい疲れているだろうに、こうして細やかに気遣ってくれる。その気持ちが嬉しかった。