第115章 紀州動乱
燃え盛る炎と天に昇る黒い煙を目の当たりにし、朱里は言葉を失っていた。
(火があんなに…御所が燃えて…)
「奥方様っ、お下がり下さい。出てはなりません」
後方の陣で久兵衛とともに兵達の救護にあたっていた朱里だが、大きな爆発音と炎で赤く染まる空を見て、居ても立っても居られずに天幕の外に出てしまった。
「久兵衛さん、御所が…」
言いかけた言葉は、喉の奥で震えて消えた。
視界の先、かつて静謐と威厳を湛えていた御所は今や炎に呑まれ、まるで巨大な獣が暴れ狂っているかのようだった。屋根が崩れ落ちる音、木材が爆ぜる音、そして風に煽られて広がる火の手―全てがが現実とは思えないほど凄惨だった。
「毛利が焙烙火矢を使ったのでしょう。あそこまで一気に燃え上がるとは…」
久兵衛もまた動揺しているようだが、朱里を制止する声には確固たる意志が込められている。
「っ…光秀さんっ…」
朱里は思わず一歩、炎の方へ踏み出す。
その瞬間、久兵衛は強く腕を引いた。
「なりません」
短く、鋭い一言。
「決して無茶をせぬ、と我が主とお約束なされたはず。奥方様はここを動かれてはなりません」
「で、でも…」
再び、地を震わせるような爆音が轟いた。
炎の柱が一際高く吹き上がり、火の粉が辺り一面に舞う。
「……っ」
朱里の瞳が揺れる。
次の瞬間、彼女は久兵衛の手を振りほどいていた。
「奥方様っ!」
振りほどいた手の感触が朱里の胸に僅かな痛みを残す。それでも振り返らなかった。
炎が爆ぜる音が耳鳴りのように響く。熱風は後方の陣にも届くほどに激しく、視界が揺らめく。それでも朱里は怯むことなく、裾を乱しながら駆け出した。
(無茶はしないと約束した…私が行っても何も出来ないって分かってるけど…)
胸を締めつける不安が理性を焼き尽くし、冷静な判断ができなくなっていた。
やがて天幕の影を抜け、視界が開けた場所に辿り着くと、目の前に広がるのはまさに地獄絵図だった。
崩れ落ちる御所の一角。燃え上がる柱。地に倒れ伏す兵達。逃げ惑う人々。煙と火の粉に覆われた京の町。
「……っ」
想像を超える光景になす術もなく立ち竦む。言葉を失い、思わず息を呑んだその時だった。
「っ…朱里!?」