第115章 紀州動乱
「御館様」
じわじわと炎が広がる中、迷いのない足取りで歩む信長の元へ、いつの間にか姿を消していた光秀が影のように現れる。
「御所は間もなく焼け落ちます。急ぎ退去を」
「…主上は?」
「主上をはじめ、公家衆、女房衆に至るまで全て退去されております。神器、諸々も無事にお移し申し上げました」
「相変わらず抜かりのないことだ。ご苦労」
「いえ、結局、御所が焼け落ちることとなり…面目次第もございません」
毛利軍の放った焙烙火矢を完全に退けることはできず、御所は炎に包まれていた。
「構わん。形あるものはいつかは壊れる。壊れたものは新たに作り直せばよい。次は我らの思うままに、な」
信長はこの場に似つかわしくない愉しげな笑みを浮かべる。
光秀は主の表情を見て一瞬だけ目を細め、燃え盛る炎の向こうを見据えた。
「……御館様らしいお言葉にございますな」
炎は空を赤く染め、ぱちぱちと木が弾ける音がどこか不気味な静けさを際立たせている。だが信長の表情には一片の曇りもない。むしろ、その瞳には炎以上の熱が宿っていた。
「焼けるなら焼けるでよい。旧きものが滅びぬ限り、新しき世は来ぬ」
「では、この炎もまた御館様の描く世の一部、と?」
光秀の問いに、信長は不敵な笑みを浮かべた。
「さあな。だが、これでまたこの国は変わる。いや、この俺が変えてみせる」
「仰せのままに。参りましょう、御館様」
炎に背を向け、二人はゆっくりと歩き出す。
御所の屋根が轟音を立てて崩れ落ち、火の粉が空へと舞い上がった。それはまるで終わりを告げる狼煙のようでもあり、同時に新たな時代の幕開けを祝う篝火のようでもあった。
その中を信長は一度も振り返ることなく進む。
光秀はその背を見つめながら、後に続いた。
やがて、御所の門を抜けると、柔らかな風がふわりと二人を包む。
炎の熱は嘘のように遠ざかり、代わりに静寂が訪れていた。
その先には、兵達の影が見える。
だが信長はすぐには向かわず、空を見上げた。
雲一つない空が眩しいぐらいに広がっていた。
「光秀」
「はっ」
「次に築くは、誰にも壊せぬ世だ」
その声音には、揺るぎない確信があった。
光秀は静かに頭を垂れる。
「我ら皆、どこまでもお供いたしましょう」
兵達から勝ち鬨が上がる。
その歓喜の声の中へ、信長はゆっくりと歩を進めた。
