第110章 魔王の霍乱
(つ、疲れた…腕が痛いっ!)
薬作りを終えて自室に戻った頃には夜もすっかり更けていた。
家康には早めに切り上げるように再三言われたが、朱里は頑なに断り続け、結局最後まで家康を手伝ったのだった。
薬研を引き続けた腕は疲れ果てていて、自分でもさすがに無理をし過ぎた感じはしていた。
(遅くなっちゃったな。信長様、もう天主にお戻りかしら)
城門前で別れた後、信長には結局会わず終いだった。
侍女らの話では、あの後やはり武将達は皆、湯浴みで身を清めていたらしく、家康の解釈は正しかったようだ。
自分の早とちりで信長達に素っ気ない態度を取ってしまったことをひどく後悔した朱里は何かに憑かれたように遅くまで薬作りに没頭し、その熱心さは家康が呆れるぐらいだった。
信長とは意図的に会わないようにしたわけではなかったが、今、顔を合わせるのが気まずいのもまた事実だった。
(今日は遅くなったし、このままここで休もう。明日も早起きして薬作り頑張らないと…)
明日も信長は視察に行くのだろう。信長の傍で手助けすることできないけれど、民達のために自分ができることをやろうと決めたのだ。最後まで精一杯努めたいと思う。
決意も新たに、そろそろ寝支度をしようと疲れた身体に鞭打って立ち上がりかけたその時……
「……朱里、いるのか?」
低く抑えた重厚な声が廊下に面した襖の向こうから聞こえた。
「っ…信長…様?」
聞き慣れた愛おしい人の声に、無意識に慌てて走り寄っていた。
スパンっと勢いよく襖を開けると、信長様は目の前で少し驚いたように眸を瞬かせた。
「っ…朱里っ…」
顔を合わせるのが気まずいと思っていたのが嘘のように、顔を見れば一瞬にして嬉しさが込み上げた。
「信長様っ…あの、どうしてここに?」
「貴様を迎えに来た。いつまで経っても戻らぬゆえ心配したぞ。こんな時間まで家康と薬作りをしておったのか?」
「は、はい。遅くなってしまってすみません」
「いや、遅くまでご苦労だった。疲れたであろう?夕餉はしかと食ったのか?」
「えっ…あっ…」
遅くまで戻らず勝手なことをして、と怒られるかと思っていたのに、意外にも優しい言葉をかけられたことに戸惑ってしまい、すぐに返事ができなかった。