第7章 トラ男とパン女の攻防戦
この寒い夜に上着を羽織る時間も惜しみ、薄着で出てきたローに対し、ムギが真っ先に告げた言葉は単なる挨拶だった。
「こ、こんばんは……。」
気遣いの言葉だったり、謝罪の言葉だったり、他にもっとふさわしいものがあっただろう。
しかし、挨拶を向けられたローはというと、気分を害すわけでもなく、かといって挨拶を返すわけでもなく、ただただその表情には心配が浮かんでいた。
「どうした、なにかあったのか?」
「あ、えっと……。」
これまでの行動を顧みても、ムギがローを呼び出すような事態はよほどの緊急時だと思われてもしかたがない。
緊急といえば緊急なのだが、今さらになって時と場合を選べばよかったと後悔する。
「そのぅ、たいした用事じゃないんですけど……。」
「切羽詰まってるわけじゃねェんだな?」
確認するように問われ、ムギの声はうっと詰まった。
切羽詰まっている。
だけど、ローが思うような危機的状況ではないので、少しだけ迷ってから頷いた。
「いまいち安心できねェ反応だな。どっちだ?」
「切羽詰まってない、です。」
今度こそ断言すると、はぁ……と深いため息ついたローの肩から力が抜けた。
「焦らせんじゃねェよ。」
「す、すみません。」
「謝らせたいわけでもねェ。」
じゃあ、どうしたらいいんだ……と言いかけて、そんなことを言いに訪ねてきたのではないと思い直す。
「えぇっと、その、本当にたいした用事じゃないんですが……、ちょっと伝えておきたいことがありまして。」
「伝えておきたいこと?」
「はい。あ……、今時間とか大丈夫でした?」
今日一日、彼から連絡がなかったのは、多忙を極めていたからかもしれない。
そう思って尋ねてみたら、「気にするな」という返事がかえってきた。
忙しいと言ってほしかったような気もして、ムギらしくもない不安が心を占める。
じゃあどうして連絡をくれなかったの?なんて、彼女気取りなセリフは吐けず、いつの間にか再び握り締めていた拳を開き、湿気を帯びた手のひらをズボンで拭った。