第7章 トラ男とパン女の攻防戦
ローに離してもらった腰を意味もなくさすりながら、ムギは軽くなった胸を自覚した。
授業中もバイト中も、ボニーに幻滅された理由がわからなくてモヤモヤしていたが、今はすっきり晴れている。
原因がわかったわけでも、仲直りしたわけでもないのに心が軽くなったのは、どう考えてもローのおかげで。
「着いたな。ほら、荷物。」
「ありがとうございます。」
教科書ぎっしりの重たいスクールバッグを手渡され、お礼を言う。
強奪されたにしても、楽をさせてもらい、なおかつ恩を売る態度でもない。
俺様な性格ではあるが、ローは優しい人なのだ。
「あの……。」
「で、土日の予定はどうなんだ。」
もう一度感謝を伝えようとしたところで、質問を被せられた。
珍しく素直になろうと思っていたのに、と内心ふて腐れる一方で、正直に「勉強する」とは言えないな、と冷静に考えた。
なんといっても、ローは面倒見が良く優しい人だから。
「やらなくちゃいけないことがあるんですよ。面倒だけど後回しにできなくて、土日に集中したいんです。」
真実を濁しながら、でも正しいことを伝えたら、多少の不機嫌さを残しながらもローは引き下がった。
「そうか。……だが、時間が空いたら連絡寄越せよ?」
「わ、わかりました。」
連絡をする義理などまったくないが、ついつい頷いてしまうのはどうしてなんだろう。
「ほら、早くマンションの中に入れよ。またな。」
「はい。……その、ありがとうございました。」
「……? 礼ならさっきも言っただろ。いいから早く入れ。風邪引くぞ。」
今の「ありがとう」は、鞄を持ってくれたことではなくて、相談に乗ってくれたことに対しての感謝。
本当は、もっと言わなくちゃいけないことがたくさんある。
例えば、ムギの体調ばかりを心配する彼が、このあとも冬の夜を歩き続ける感謝とか。
でも、やっぱり素直じゃないムギは、小さく頷いてからマンションのエントランスへと入っていった。
一度だけちらりと振り返ったら、立ち去らずにこちらを見守っていたローと目が合う。
早く行け、と手振りだけで伝えるローは、いつまでも立ち去ろうとしない。
きっと、ムギの姿が完全に見えなくなるまでそこにいるのだろう。
たくさんの大切な言葉を、ムギは口にできないままだ。