第7章 トラ男とパン女の攻防戦
「それじゃあ、また。」
ふて腐れたような面持ちで別れの挨拶を口にして、持たせたままの鞄を受け取ろうと手を伸ばした。
しかし、その手に鞄が返されることはなく、代わりに手首を掴まれぐんと引かれた。
「わ……ッ」
つんのめって胸筋に顔をぶつけ、たいして高くもない鼻が痛む。
それから背中にローの腕が回ったから、つまり、これは抱擁である。
「ちょ……、いきなりなにするんですか!」
熱くなる頬から意識を逸らしながら、毛を逆立てる猫の如く威嚇した。
「なんだ、そういう意味じゃなかったのか? 手を出されたからてっきり、な。」
なんて肩を竦めるローはどこか飄々としていて、いかに鈍いムギであってもそれが嘘だとわかってしまう。
「そういう冗談、ほんといいですから!」
眦を吊り上げながらローの胸をどんと押すと、抱擁は意外なほどあっさり解ける。
以前、マンションの下でキスをしたことを死ぬほど恥ずかしかったと言ったのを覚えていたのかもしれない。
まあ、そうだとしたら初めからこういう行為は控えてほしいものだが。
「鞄! 鞄を返してくださいよ!」
憤慨するムギにローは苦笑を零し、今度こそ鞄を返そうとして、それから思い出したように口を開いた。
「ああ、そういや、残り物のパンがあると言ってたな。ひとつ寄越せ。」
「え、なんでですか?」
口に出した途端、ローの顔が不服そうに顰まる。
彼がどうしてパンを欲するかなど、愚問だった。
「約束、忘れてねェな?」
パンを食べられるようになったら付き合う、というのはローが勝手に言っているだけで、別に約束をしたわけじゃない。
でも、それを言ってしまうと眠った虎の尾を踏んづけるような気がして、ムギは口を真一文字に引き結ぶ。
ローにとっては憎きパンでも、ムギにとっては愛すべきパン。
決して渡したくはないけれど、押し寄せてくる圧に耐えかね、返してもらった鞄から一個だけ彼に渡した。
美味しいパンを貰ってもまったく嬉しそうな顔をしないローは、まだパンを克服できそうにないのだろう。
その様子に安心しながら、一方で、そんなに嫌なら食べられるようになったと嘘でもつけばいいのに、と思った。
彼の真摯な行動が、時折胸に刺さって痛い。