第7章 トラ男とパン女の攻防戦
渾身の頭突きによって緩んだ拘束から抜け出し、ムギはソファーから落ちるようにしてローと距離を取る。
身体を起こし、こちらを睨むローの額は赤くなっていて、たぶんムギの額も同じくらい赤いはずだ。
「……よりによって、パンか?」
そう吐き捨てたローの瞳からは、これまで潜んでいた熱が消え失せており、ムギの心を幾分安心させた。
「そ、そうですよ。だって、わたしはパンが好きですもん。好きなものを嫌いな人とは、一緒にいても楽しくないでしょ!」
我ながら苦しい言い分だと思った。
世の中には好みが異なる恋人や夫婦がごまんといて、それでも仲良くやっているのを知っていた。
ムギはただ、思いついたことを言ってみただけ。
しかし、ムギの言葉を真っ正面から受け取ったローは、不機嫌な表情を崩さぬまま、すっとソファーから立ち上がる。
警戒して床を後ずさったムギを尻目に、彼はケータイをポケットにしまって帰る準備をし始めた。
「か、帰るんですか?」
「ああ。」
急にどうしたのだろう。
もちろん留まってほしいわけじゃないが、引き際が謎すぎる。
テーブルの向こう側に回って様子を観察していたら、ジャケットの襟を正したローが鋭い眼差しをムギに向ける。
「今の言葉、忘れんなよ。」
「……は?」
「パンを食えるようになりゃ、俺と付き合うんだな?」
「……は!?」
言ってない。
そんなことは断じて言ってない。
「ちょっと待ってくださいよ。わたしは、パンが食べられない人とは付き合えないって言っただけで――」
「そりゃァつまり、パンが食える男とは付き合えるってことだろ。俺がパンを食えれば、解決するってわけだ。」
だから、言ってないぞ、そんなこと!
「待って、ちゃんと話を……!」
「話は終わった。それじゃあな。」
互いに意見の相違を抱えたまま、ローは部屋を出て行った。
ばたんと閉まる玄関の音を聞きながら、ムギしばらく呆然とリビングに立ち尽くしていた。