第27章 翔ぶ
思わずリックの顔を見つめれば、久しぶりに耳にしたかつてのおのれの通り名に懐かしさを感じたのか、その思慮深い青い瞳は揺れていた。
「左様で。そのような異名をたまわったこともございましたな…」
ぽつりとそうつぶやくと静かに首を左右に振ったのちに、きりっとした目つきでまっすぐにレイを見つめた。
「レイモンド・ファン・バルネフェルト様、お久しうございます」
「ハッ! やっぱり本人で間違いねぇんだな。しかし驚いたな…。あれだけ貴族の屋敷に出入りしていたお前が、ある日を境にぱったりと姿を見せなくなって…」
そこまで話すとレイは、複雑そうな表情を見せたのちに口をつぐんだ。
まだ話す内容はあるが、あえて黙ったという風情だ。
そして急に不自然なほどに明るく笑うと、リックを気遣った。
「心配したんだぜ? 元気にしてたか?」
「恐れ入ります。見てのとおりにこの愚かな老人は、不肖の身ながらここヘルネの地で生き長らえて、生き恥を晒しております…」
「………!」
マヤはリックの言葉に驚いて息が止まる気がした。
……リックさんは昔、王都で紅茶のお店を出していて…。
何か理由があって王都を去ったらしいけれど、兵長もその理由を知らないようだったし、知ろうともしていなかったわ。
だから私もそれ以上深く知ろうとは思ってはいなかったけれど。
このレイさんとの会話…。
“愚かな老人” “生き長らえて” “生き恥を晒す”
………。
リックさんに一体何があったのかしら…?
マヤの頭の中で疑問が渦巻いていると。
「昔のことは関係ねぇ。気楽にいこうぜ?」
レイの声がやわらかくリックを包みこむ。
「今日はな、マヤにいい紅茶の店があると聞いてやってきたんだ。久しぶりに美味ぇの淹れてくれよ」
リックは大貴族の御曹司の優しい言葉に胸がいっぱいになって、そして。
「かしこまりました。私は奥におりますので、まずはごゆるりとお楽しみください」
「あぁ、そうしよう」
リックはレイの気遣いに対して大仰に礼を述べるでもなく、淡々と仕事に徹して頭を下げた。
……今は仕事中。私情をはさむべきではない。
今の私にはレイモンド様に最上級の紅茶を淹れることしかできないが、必ずやまっとうしよう。
リックは熱い想いを胸に、奥へ引き下がっていった。