第9章 ヘイアン国
五感への刺激が強くて、匂いも音も肌への感触も何もかも辛い。目が見えなくて良かったとすら思った。たぶんこの上視覚への刺激まであったら、叫びだして狂っていただろう。
「感覚を鋭敏にする薬だから、性的快感も高まってるはずよねぇ。トランス状態にしたほうが海神と交信もしやすいし。誰か試したくない?」
犯せという命令に、黒キツネが口調を険しくさせた。
「せっかく見つけた王候補を壊す気か?」
「人格はいらない。器さえあればいいでしょ」
自分以外が王になることをイナリは認めなかった。必要なのは海神からの予言を受け取る、道具としての王だけだ。
イナリと違って若く可愛らしい容姿をした娘に、何人かのキツネ面が興味を示した。イナリに付き従って甘い汁を吸いたがっている私兵たちだ。
触られては悲鳴を上げた。
「やだやだやだ!! 触らないで!! 嫌……っ!!」
触られるだけで溶けた頭の中に毒の泥を混ぜられるみたいで気持ち悪くて仕方なかった。咳き込むほど叫んでは拒絶した。
悲鳴に合わせてハルピュイアが近づく男たちに襲いかかるが、矢を射かけられて悲鳴を上げて飛び退く。
シーレーンが最初に近づいた男の足を掴んで海に引きずり込んだ。だが刃物で斬りかかられ、悔しそうに離れるしかなかった。
「……悪趣味極まりないな」
「人のこと言えるの?」
愉快で仕方がないという風に笑って、イナリは生贄の娘が陵辱されるのを見物する。
そこへ全てを切り裂く斬撃が飛んできた。
85.黒いキツネ面
イナリがアワジ島に渡ったと情報が入ったのは、ローが歌姫と戦った翌々日のことだった。
儀式で自分を危険にさらすのはまっぴらとばかりに、これまで一度もイナリはアワジ島に渡ったことがない。朔の日までまだ余裕があるとはいえ、イナリが儀式の場となるアワジ島に行くのははじめてのことだった。
同時に国中から王候補を探す名目で若い娘が集められ、嫌な予感しかしない。
「だがチャンスだ。この機会に橋を落とせば、イナリを国から追い払える」
店の二階で地図を広げて、妹からレジスタンスのリーダーを引き継いだシュンが計画を説明した。
気になるのはその横に、居心地悪そうに逃げたはずのマリオンがいることだった。