第1章 黄玉(桃城)
最低の一日だった。
ここのところ営業成績は頭打ちで、おまけに客先で大失敗やらかして先輩にめちゃくちゃ迷惑をかけた。ものすげえ怒られた。
なんとか取りなしてもらって会社に帰ったら、先輩以上に鬼みたいな顔になった上司にボロックソに怒られた。マジでクビになるかと思った。
溜まった仕事は片付かず、大損害とまではいかなかったにしても会社に迷惑かけた身で残業するわけにもいかず、明日もゲロ忙しいのが目に見えた状態で退社した。
こんな時に優しく慰めてくれる恋人とはつい先週別れたばかりだったし、他の誰に話せるような話でもない。
独り暮らしの真っ暗な部屋を見たくなくて、夜の街をぶらついていた俺は、人生最低にどうしようもない気分だった。
……そう、気分「だった」。
「掘り出し物ですよ、お客さん。
まあ……十年に一度、と言ったところでしょうかね」
「はあ……」
さっきまでどうしようもなかった俺は、異様に座り心地のいい椅子に座って、異様に美しい装飾のカップに注がれた、異様にいい香りのするお茶をすすめられていた。
お茶が載った小ぶりのカフェテーブルの向こうには、そのお茶を淹れた男が立っている。
ぱりっと糊のきいたシャツに濃い緑のベスト、折り目のきっちりしたグレイのスラックスにループタイと、カフェのマスターか何かのような見た目の男だ。ライオンのたてがみのようにセットした髪が目を引く。
一見人の好さそうな、しかし何を考えているかわからない微笑みを浮かべる男は、この「店」の店主であるらしかった。
光量をやや抑えた温かみのある間接照明が広がる店内は、衝立やカーテン、仕切り壁などでいくつかのブースに仕切られているらしかった。
らしかった、というのは、どのブースも分厚くどっしりとしたカーテンに遮られ、中は見えないからだ。
壁や柱には繊細な彫刻や絵付けが施され、ところどころの家具や調度、小物に至るまで、主張はしないまでも明らかな一級品の様相を呈している。
これまでかいだことのない、さわやかな、それでいてとろりとした香りが頭をぼうっとさせて、どこか現実味が薄く感じる。
つややかに磨き上げられた床に映り込んだ、埃にまみれた俺の靴でも見ていないと、自分のことさえ忘れてしまいそうだった。