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香国 ー駆ける兎の話ー

第1章 駆ける兎の話



最後の朝。

びっくりする相手に起こされた。

「起きろ寝坊助、朝が来たぞ」

寝台に勢い良くドスンと腰掛け、ぎゅっと鼻を捻って来る。こんな事をするのは一人だけだ。

「狼娘!?」

「他に誰がいる。狼娘だとも、兎っ子」

掛布を弾き飛ばして起き上がったところをがっちり抱き締められた。砂と埃と馬の匂い、間違いなく狼娘だ。

「どれ、花嫁の顔を見せてみろ。少しは垢抜けたか?うん?」

ぐいと顔を持ち上げられて瞬かせた目に、天藍石の瞳が映る。澄んだ朝陽が差したその綺麗な瞳は、濃い藍色に深青色の虹彩を浮かべて綺羅々々していた。

「何だ、ちっとも変わりないな。相変わらずの兎じゃないか」

そう言って朗らかに笑う狼娘に、今度は私から抱き付いた。

「どうしたの、狼娘!もう月狼に離縁されたの?」

「縁起でもない事を言うな。月狼は私にぞっこんだ。万に一つも私を手放すような馬鹿な真似はしないぞ」

真顔で答える狼娘に私は声を立てて笑った。

「ちっとも変わらないのね、狼娘」

「人の事は言えまいよ。お互い様だぞ、兎速」

考えてみたら狼娘が香国を出てまだ数日、何だかもっともっと時が経ったような気がするけれども、お互い変わり様もないくらいの日しか経っていないのだ。
鼻の膏薬や青痣の生々しい狼娘の顔を見て、しみじみ思った。

「父上と母上に婚礼の報告とご挨拶に伺ったのだ。お前の晴れの日を見逃す訳にもいかないしな。もっと早く来たかったのだが契りを結ぶのに手間がかかった」

足を組んで寝台に腰掛け、二の腕を掻きながら狼娘はあっけらかんと言った。契りを結ぶっていうのは、つまり、そういう事で、顔がかっと熱くなった。

「剣戟では一夜共に月を見、一夜共に雨に降られてからでないと契る事は適わないとされている。苦楽を共にするという意味を込めた古い仕来りで今時従っている者など居ないんだが、月狼の奴と来たら馬鹿に律儀でな。一昨夜の雨でやっと事が済ませられたという訳だ」

「あの、狼娘。そういう話は、私、あんまり…」

「うん?まあ、剣戟ではやる事をやらない内は婚儀が済んだ事にならないからな。間に合って良かったよ。七姐誕に恵みの雨とは天の粋な計らいとは思わないか?」

「ほう。では剣戟では季節を選ばないとなかなか結ばれない事になりますね。成る程、面白い。矢張り国によって色々違うものなのですねえ」

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