第1章 駆ける兎の話
私のお母様は詳しく聞いた事こそないが農奴の身の上から宮に上がったらしいから、決して豊かではない。大体土という国自体農奴の国だという話だし、豪奢な贈り物など望むべくもない。
でもお母様は翡翠の兎を下さったし、国からは凄く美味しいものが贈られて来る。
良い粉に牛酪と蜜を加えて焼いた蕩けるような焼き菓子や、挽いた豆粉を蜜で練った柔らかな棒菓子、可愛らしい壺にギッチリ詰まった小さくて色とりどりの野菜の酢漬け、しっとりして良い匂いのする干し肉は宮でもお目にかかれない絶品で、これを振る舞うと貴白でさえも心なし優しくなる。胡麻や豆の入った餅、肉桂、生姜、黒蜜の飴、芳ばしいお茶の葉。
それにお上品な姉妹にはあんまり知られたくないけど、巣板ごと蜂蜜が贈られて来たりもする。
これは巣板の蜜蝋を割ってそのまま口に放り込んで味わう。良い香りの蜜が噛み締めるごとに蜜蝋から溢れかえって、うっとりしてしまう。噛み残しの蜜蝋は、行儀悪いけれどペッと出す。でもこれが楽しくて美味しくて、私の内緒の大御馳走なのだ。
こういう美味しいものをどっさり貰う度、土で暮らすのも悪くはないと思う事がある。正直に言えばもっと幼くて頑是無い童女だった頃は、かなり本気で土に行きたがっていた。国から贈られて来るものは宮で食べるものよりうんと美味しかったから、毎日美味しいものを食べたかった小さな兎速は泣いて女官を困らせた。
そんな事を思い出したら、何だか可笑しくなって笑ってしまった。食いしん坊の小さい兎速。
「ね、着物や髪飾りの代わりに食べ物ばかり贈られて来るんだもの、私が食いしん坊で部屋が寂しくて綺麗なのもわかるでしょ?食べ物は食べたら無くなっちゃうもの」
きゅっと笑いを呑み込んで敢えて顰め面で言ったら、知香は淡紅色の頬に手を当ててふわふわと笑った。
「ふふ。そうねえ。でも羨ましいわ。土の国は豊かなのね」
「豊か?」
虚を突かれた。選りに選って知香がそんな事を言う?
ポカンとした私を尻目に、知香は中身を食べ終わって綺麗に洗った酢漬けの壺に挿した薫衣草をそっと撫でて目を細めた。
「豊かでしょう?誰も食べずに生きては行けないのだから、食べ物がどっさりある土は大層豊かな国と思うわ」
「穢れた農奴の国を豊かと言うの?」
尖った声が出てしまった。誰より穢れた土を避ける知香にこんな風に言われたくない。
