第89章 堆魂の儀(ついこんのぎ)
『今ある全て』は…
『初代が生きた証』でも在り
『初代の想い』そのもので在る
そういう意味で、『初代そのもの』と言った
だから…
『今ある全て』は――『原初の始祖神』であり、姿形を変えて、それぞれの無数の自我となって、『在り続ける源(母体)』となっているだけに過ぎない
と
『今ある全て』は
『原初の始祖神』が『生きた証』で在り、必ず守るという『想いそのもの』で在り、『(想いの)一部』でも在る
もとを辿れば『全て』、『己が送ったもの』だから
それが姿形を変えて、『今ある全て』に…
それぞれの個と成り、無数の自我と成って、
『原初の始祖神』とは異なる、『唯一』と成る
『厳密には違う存在』だから…
それを実在化する為に『在り続ける源(母体)』と成っているだけ
その代わりが――『次世代(生まれ変わり、2代目)』というだけ
だから…
『全て』を守ることが…
『原初の始祖神』を、魂が亡くなった後も『生かすこと』に繋がる
それが…その考えに至ったことが――『転機(回生)』だった
『姿形を変えて、今も生き続けている』と…
『その中(今在る全て)』にも『見出すこと』……
『大事にすること』………
それが……『自らに課せられた役割(原初の始祖神)』なのだと
――そう、悟った
全てが腑に落ちた……
そういう訳なのだろう……
事がこう至ったことは………
『削った自我は、記憶は、命』は…二度と戻らない……
『異なる自我』と成って、『異なる命』と成って、生き続けて行く
これからも――ずっと―――
永遠に――――!!
『それ』は――『神国神話に於ける学び』であり…『創世神教の教え』、『求道(きゅうどう)』であるとされ続ける発端となる―――
ケイトの神像は変わらず神殿の中央にあり
リヴェリアの神像はケイトの像から見て左側、僕の神像は右側に
扇状になっているのだが…簡単に表すと……
ノアー
ブラン フィア
アスフ ガレス
リヴェ フィン
ケイト
――――――――――段差――――――――
(神像の間への)入口
それぞれが前(入口側)を向いているので
その前に並ぶ形式を取っている