第89章 堆魂の儀(ついこんのぎ)
それぞれに生き方があるように…
それぞれに死に方もある…‥
喪いたくない想いは同じでも…平気で奪う人も居る……
どれだけ想っても、大事にしても…それを踏みにじる人も……
「癌」となる人も―――――
順序立てて解説すると
1.人を見ないで好き放題に行動して押し付ける
その結果あちこちで「歪み」を生む
*人を見ない無理強い段階
具体的な内容:自分のしたいことの為に一方的に巻き込み、傷や破壊や死を与えて回る
2.そのせいでバランスを崩して割を食う人が出る
その人に危害を加えてることに責任も感じない、無自覚型は見ないので把握も出来ない
*無責任段階
具体的な内容:その破壊されたものを直すのも傷を治すのも死んだ人を弔うのも責任を取るのもその罪を裁かれるのも罰を与えられるのも皺寄せをするのも全て、した本人では無く『一方的に巻き込まれた側(実際にはしていない側)』
3.『それでも大事に想ったり信頼して寄り添おうとしてる、被ってまで死んででも守ってくれた恩人達』を、その良心に付け入って巻き込み続けて食い荒らす
自分へ向けられた『良心』に付け入って「利用と搾取」を繰り返しているが、本人に自覚は無い(自覚型はある)
*仇返し段階
具体的な内容:全く異なる人が罪を被ったこと、罰を代わりに受けたこと、全て自分の代わりにしてくれたことに、自覚もせず、見向きもせず、感謝も謝罪も出来ず、責任を取ることからも逃げ、感じることすらも出来ず、恩返しも何もせずに、平然と何事も無かったかのように付き合い、「笑う」
4.また新たに暴走を無限に続ける
それに伴い「歪み」が増えていく
*無限暴走段階
具体的な内容:1~3の無限ループ
4の時点で、決して罪人とされず、罰も決して受けない、
「「歪み」を与える存在(歪み(闇)そのもの)」=「癌」として完成する
ここまででお分かりだろうか…?
『人』に「犠牲(歪み)」を強いる在り方だと…
その「(自ら人に与えた)犠牲」を、「犠牲(罪)」と認識することすらも出来ないことも……
自覚型であれ無自覚型であれ…どちらも「同じ行為」を必ず取る
問題なのは――そこに『「罪」の意識(人を見る心)』が無いことだ
そこまでやってもなお、「笑う」―
否――
「笑っていられる」―――
「そこ」が…「癌」の証なのだと――――
