第66章 穢れ
傷を抱えるからこそ出来ないこともまたあるが、だからこそ…長所に直結する場合もある。
何事も表裏一体、長所の裏返しである欠点もある、切っても切れないものもまたある。
だからこそ…きちんと分析し、理解しようと歩み寄らねばならない。
傾聴し、向き合い、他を知り、敬い、配慮し、重んじなければならない。
それもしないまま決め付け、甚振る為の口実とすることにこそ問題がある。
人の人格を無視しておいて、無視されないで重んじられて当然とする方にこそ問題がある。
ケイトが言うには個人の好みや主観も入っているらしい。
何でも…
『苦悩して、躓いて、努力して、もがいて、それでも力で意に反する結果のみを押し付けられて、自身の切に望む結果がいつまでも与えられない。
力があるものだけがいい思いをする為に他のそれを虐げ、結果として他は迫害され、望みも何も叶わず、救われもしないまま当然のように力あるものから力を求められる。他の意志など関係無いとでも言うかのように、結果的に貸すことになる…嘲笑のように感じるほど、努力のしない者ばかりがいい思いや望みや結果ばかりを手にする。他は力を貸されたことも、救おうとされたことも、報われたことも、一度とすらないまま…
現状…社会においては、『情状酌量の余地があるほどの背景があるもの』を痛め付けたことに対して居た堪れない姿勢を取らないこと、その痛まない感覚を抱くことこそが当然とされている。
努力しても報われず、上の気分で、力あるものの勝手で、如何様にでも踏みにじられる。
上に好まれているか好まれていないか、決め付けられることもある。意図的に、人為的に貶められることだってある。
予定もつもりも本人のしたいことも聞かずに、いつでもどこでも都合のいいように動いて当然、何も返さないまま貸してもらって当然、元敵に貸すこと等言語道断。
私はそうならないと決めた。
が、それがあってこそ感じることだろう。
だから…葛藤しながら、苦労しながらでも、必死に頑張る者が報われて欲しいと切に願っている。
苦労する人間こそ報われて欲しい、それが人情というものだろう。
それすらも人は踏みにじる。背景など無いものとして、障害も無いものとして、自分を基準に人を決め付け、物差しや枠を強引に押し付けて当てはめ、判断し、貶め、甚振り、痛め付け、嘲笑い続ける。
