第36章 鬼喰い
姉の為に、と彼女は言っていた。
最愛の死した姉の望みの為に、自分は生きていかなければと。
そこに姉の仮面を被るしのぶの姿が垣間見えて、図らずとも指摘してしまったことがある。
その時、初めてしのぶの素を見た気がした。
綺麗な笑顔を感情で伏せるのではなく、憎々しげに鬼への敵意を剥き出しにする様が。
(そうか…胡蝶も…こんな感情、だったのかな)
同じとは言えない。
自分には自分の、彼女には彼女の生きてきた世界がある。道がある。
それでも安易な気持ちで姉の姿を借りて生きることを決めた訳ではない、しのぶの覚悟の重さを垣間見た気がした。
自分の人生全てを、最愛の人で塗り潰すのだ。
生半可な思いのはずがない。
(なのに、私は…)
姉の仮面など付けなくていい。
胡蝶しのぶ本人と話がしたい。
そう、過去に告げたことがある。
表面上だけで鬼と人が仲良くしようなどと言われるくらいなら、そんなものは要らないと。
剥き出しの感情でいいから、今のしのぶと向き合いたいと。
あの時、結果しのぶは怒りを露わにしただけだった。
これ以上話していると苛立ちが増すだけだと言うかのように、突っ撥ねられて。
今思えば、彼女の心の奥底──触れられたくはないところに、手を差し込んでいたのかもしれない。
本意ではなくとも、偶然だとしても、敵と見做している鬼にそんなところを突かれれば怒りたくもなる。
「なら…不死川」
「ア?」
「って呼んでも、怒らないでよ、ね」
未だじんわりと汗の滲む手を握る。
いつかのように実弥の名を呼べば、不思議と懐かしい気がした。
それだけ口を閉ざしていたということだろうか。
「はっ。今更テメェに敬称付けられる方が気持ち悪いわ」
鼻で笑う実弥の名を、口内だけでもう一度刻む。
実弥に気圧されたからではない。
ただ、あの日しのぶに「姉の仮面など付けなくていい」と、心の底から告げた自分自身のことを思い出したからだ。
あの時、確かに彼女に向き合おうとした心があった。
無限列車任務後も、散々蝶屋敷に居座ってしのぶを怒らせてしまった為に、既に後の祭りかもしれない。
それでもしのぶと交わしたあの日の言葉を、無かったことにはしたくないと思った。