第33章 うつつ夢列車
テンジという無数の鬼の集合体。
その鬼に蛍を攫われ、己の記憶も塗り変えられた。
それでも体は記憶していた。
心の奥底には残っていた。
蛍への強い想いが感情を突き動かし、だからこそ蛍の髪房が燃え尽きる様を見て狼狽えたのだ。
涙が自然と流れる程に。
「すくい…何?」
頸を傾げる蛍が問いかけてくる。
その姿を今一度目に映して、杏寿郎はごくりと唾を飲み込んだ。
あの時と同じだ。
テンジの幻術にかかっていた時と。
憶えていないはずがない。
蛍が人に戻った時のことを。
だとすれば意図的に記憶から抜け落ちているのか。
全くの別物に塗り替えられているのか。
「…蛍…」
「なぁに?」
「君が…人に戻ったのは…いつ頃のことだ…?」
「え? ええと…いつだったっけ…あれから一年は経ってるかな…」
思い返すように宙を見上げる蛍の返事に、杏寿郎の疑惑が大きく膨らむ。
テンジと同じ術にかかっている可能性がある。
その可能性を感じれば、一気に頭が回転を速めた。
此処は何処だ。俺の生家だ。
父と弟もいる。だがそれだけだ。
それ以外の人物は見たか?
伊武家は? 駒澤村の人々は?
蛍が人間の姿を取り戻したというのに、何故その後の鬼殺隊の話が一切出ない。
任務は。鬼舞辻無惨の討伐は完了したのか?
なら何故その記憶がない。
「ならば君が鬼になった時のことは。憶えているか」
「え? うん、憶えてるよ。あの時は、姉さんの死も傍にあったから…」
「季節は」
「え?」
「何月の頃だ。昼か、夜か。晴れていたか。雨は?」
「ちょ、ちょっと待って。急に何? 杏寿郎」
「訊いているだけだ。答えてくれないか」
「えっと…」
「忘れるはずはないだろう」
人生を変える程の出来事だ。
真っ赤な血の惨劇と、細胞を一から変える鬼化と、姉を喰らった地獄のような出来事と。
死にたくなるような痛みと、世界を恨みたくなるような憎悪に巻き込まれたはずだ。
その日のことを、蛍が忘れるはずはない。