第33章 うつつ夢列車
(それ程のことではないはずがないだろう)
だからこそ疑問が浮かぶ。
鬼から人へと移り変わった蛍の姿が、己の心を揺さぶらなかったはずがない。
つい先日。太陽の下で笑う蛍を見た時でさえ、頭に稲妻を喰らったかのような衝撃だった。
熱い思いがこみ上げて、そのまま目頭を熱くして不覚にも泣きそうになった程だ。
それ程のことを憶えていないはずがないのだ。
蛍への想いを確信しているからこそ浮かぶ疑問。
(…いや。違うな)
疑問というよりも、不可解な"何か"。
その奇妙な感覚には覚えがあった。
心は平穏なはずなのに、何か心の奥底で燻っているような。ふとした瞬間に感じる胸騒ぎ。
心はこれが日常だと思えているはずなのに、直感した体が否定する。
だからあの時、その不覚にも零れそうになった涙を止められなかったのか。
「……」
「…杏寿郎?」
簪に触れていた指を握り締める。
双眸が大きく見開き、不安定にふるりと揺れる。
憶えがあった。
心は止まっていたのに、痛い程に揺さぶられた。
狼狽し、必死に手を伸ばした。
父、槇寿郎の手で陽の下へ投げ捨てられ、燃え尽きてしまった蛍の髪房を見た時は。
(…そう、だ…あの時…)
握りしめた手で口元を抑える。
今この場で感じているものと似たものを、過去にも感じたことがある。
手繰り寄せるように頭を回転させて、杏寿郎は息を呑んだ。
──駄目だ。
消えるな。
行くな。逝くな。
俺はまだ、君を──
「この…世界から…救い出せて、いない」