第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
ねんね、と告げる幼い声。
饅頭のように小さな拳が寝間着を握る。
押し付けるようにして伝わる体温は──あたたかい。
『…っ』
かっと、目の奥が熱くなった。
生きている。
この腕の中で息衝いている小さな命は、己以上に儚い存在なのだ。
儚くも懸命に生きている。
生死の有無もよくわからないまま、それでも生きようとしている。
『…ねんね』
『…ああ…寝なくちゃな。しっかり寝て、起きて、』
生きていかなければ。
幼く柔い体を抱きしめて、強く目を瞑る。
涙など零れないように。
簡単に死に伏せてしまう儚い千寿郎の命に、守らねばと使命に駆られたからではない。
ただただこの腕の中にある命の温かさを実感したからだ。
生きていかなければ。
この命と共に。
『あにー…ぅ、ぇ』
『! 千寿郎、お前…』
身動く幼い声が、いつもの拙さを変える。
はっとして顔を離し見た暗闇の中で浮かぶ、二つの幼い金輪の瞳。
その目がふと和らぐ。
まるで杏寿郎の心を汲み取るように、いつも杏寿郎を見つけては真っ先に向ける、無垢な笑顔をようやく向けてくれた。
『あに、ぅ、ぇ』
『っああ。俺はお前の兄だぞ、千寿郎』
『あにぅ、え』
『うん。兄上だ』
何も知らずとも成長している。
前を向こうとしている。
その幼い温もりに熱く、漠然と感じたものの正体を知った。
この広く暗い部屋で一人、孤独を募らせていた。
しかし独りなどではなかったのだ。
何よりも誰よりも傍に、この命が在るではないか。
生きて、共に。
「──純粋に、ひたむきに、真っ直ぐに伸びようとする。千寿郎の命の在り方に励まされた。あの子が共にいてくれたから、俺も進むべき道を見失わずに済んだんだ」
家族三人でも広過ぎる家。
そこで共に寄り添える存在があったからこそ、自分も真っ直ぐに生きることができた。
「独りではないと。あの子が俺の幼心を孤独から守ってくれた」
「…杏寿郎…」
満点の星空を見上げて語る杏寿郎の横顔を見つめる。
不意に見上げていたその目が蛍を捉えると、少しばかり恥ずかしそうに笑った。
「千寿郎には、内緒だぞ」