第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「……」
「? なぁに?」
不意にじっと蛍を見つめる。
千寿郎には語るまいとしていたことを、何故こうも蛍にはすんなりと吐き出せたのか。
それこそ鬼殺隊に所属している身だろうに。
蛍の性格からして、任務時に派手に着飾るようなことはしないだろう。
彼女のその本質をわかっていたからなのか。
「…いや(違うな)」
そうではない。
ただ蛍には、意味もなく素直になってしまうのだ。
己の幼さも醜さも全て晒してきた。
それらを余すことなく包み込んでくれた彼女の前では、過去も未来も意味はない。
「千寿郎には話してくれるなよ」
「ん? うん。杏寿郎、お兄ちゃんだもんね」
苦笑混じりに告げれば、素直に笑い返した蛍が肌を寄せる。
しとりとして温かく、微睡みたくなるもの。
「兄か…確かに、兄としての意志は強くある。俺にとって千寿郎は真っ先に守らねばならない存在だった」
「うん。大切な兄弟だもんね」
「うむ。たった一人の兄弟だ」
柔い蛍の相槌でさえ、心地良い。
その優しい微睡みに浸かったが故に、また口を滑らせたのか。
「だが幼い頃は、俺の方こそ千寿郎に守られていてな」
つい、儚い思い出を語ってしまったのは。
「…杏寿郎が?」
興味を示すように蛍の声色がほんの少しだけ変わる。
それに気付いていながら、気付いていないふりをして杏寿郎もまた寄り添う肌に身を預け続けた。
「あの子は自分を非力だと嘆くが、そんなことはない。それこそ俺よりも過酷な状況下にいて尚、父上や俺だけでなく人々を守れる道はないかと模索している。心の強い子だ」
「…うん」
「それだけではない。他人に優しくあれる心を持っている。己の努力を惜しまない心意気を持っている。鬼殺隊になれなかったことに人一倍絶望する心も持っている。誰より何より感情豊かな、人らしい子だ」
だからこそだ。
「幾つになっても変わらない、昔から千寿郎はそんな子だった」