第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「な…何…急に」
「君が好きだと改めて感じた。愛していると実感した。触れたくて堪らなくなった」
「…っ…」
「それだけだ。照れ屋な君をこれ以上煽るようなことはしない。だからここへおいで」
無言でじんわりと顔を熱くする蛍の姿は、幾度とも見てきた。
その度に愛おしいと想う気持ちは溢れ出る。
枯れることも、廃れることもない。
これ以上苛めることはしないから、だから逃げてくれるなと。腕を広げて柔く囲めば、大人しく細い体は晒した肌に寄り添った。
「…って…」
「ん?」
「私、だって……すき」
寄り添う頭が、肩に身を任すように乗る。
ぽそぽそと小さな声で告げた想いを重ねるようにして。
「あいしてる、よ」
ありふれた想い人達が紡ぐ愛の言葉。
そこに蛍の声が重なるだけで、その響きは特別なものとなる。
緩む口角を止められずに、杏寿郎は頸だけを捻って濡れた柔らかな髪に口付けた。
そうすれば照れ屋な彼女も、鮮やかな緋色の瞳をこちらに向けてくれる。
「髪、ありがとう。以前よりも頭が軽い」
「そう、かな。杏寿郎がそう感じるなら、よかった」
忘れてはならない、特別な髪紐の存在もまた噛み締める。
嬉しそうに告げる杏寿郎に、蛍もまた気恥ずかしくも返して笑う。
その目は焔色の髪に埋もれて時折煌めくそれに、ふと目を止めた。
「…でも、前の髪紐より邪魔になったりしない、かな」
「うん?」
「変に目立って、任務に支障をきたしたり…」
「それは問題ないな」
ふと思い浮かんだ蛍の疑問は、笑顔の杏寿郎によってやんわりと否定された。
「俺の髪は元より目立つ色見だ。髪紐一つ鮮やかになったところで、なんら問題ない」
(…確かに)
思わず頷いてしまったのは、杏寿郎の言葉通りだったからだ。
金に近い黄金色。毛先にいくにつれて強い朱色を帯びる。
そんな金獅子のような派手な髪色を持つ人間など、早々いない。
「寧ろ鮮やかであって尚良い。俺の髪はその為にあるものだと思っている」
「そのため?」
「目を引かせる為だ」