第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
出会ったことはなくとも、皆の思い出に詰まっている瑠火の姿なら知っている。
影鬼の中でその声を聴いて、肌を感じて、視線を交えた。
知らずとも知っている、煉獄の家を支えた女性。
「なんとなくだけど。ほら、写真も見せてもらったことがあるし。あの凛とした芯を通すような視線は、杏寿郎に似ていると思うな」
ただそのことは己の中にだけしまい込んで、蛍は台所で煉獄家の家族写真を見つけたことを話にあげた。
「杏寿郎から聞いた話でも、瑠火さんは自分の立っている場所を見極めて、進むことができた女性(ひと)なんだと思う。それも杏寿郎に似てる」
「…俺の背を押し進めたのは、他ならぬ母だからな」
「うん。杏寿郎が繋いだんだよね。瑠火さんの思いを」
「繋ぐ」
「うん」
言葉の意味は理解していた。
己自身も、そうであろうと努めてきた。
しかし他者にそうして告げられたのは初めてのことだった。
静かに、炎のような双眸が見開く。
「見た目は槇寿郎さんにそっくりでも。話を聞けば聞く程、知れば知る程、杏寿郎は二人の息子なんだなぁって実感する。千くんも、私が槇寿郎さんに鬼だと知られて冷たくされた時、庇い立ってくれた。そういう、なんていうのかな…内にある強さ…かな。そういうものは、きっと瑠火さんから繋がっているんだなぁって」
「……」
「あ、槇寿郎さんの中身が強くないって言ってる訳じゃなくてね…っ槇寿郎さんは前に杏寿郎が言ってくれた通り、大きな愛を持っている人だと思うから──」
槇寿郎には槇寿郎の良さがある。
そう援護するように語り始める蛍に、まるで毒気を抜かれたかのように、杏寿郎は心内が軽くなるのを感じた。
何か小さな棘に引っ掛かっていたかのように。
すっと抜け落ちた感覚は、心を不思議と軽くする。
それまで実感もしてなかった重みを抱えていたのは、使命感に駆られていたからなのか。