第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「いいけど。さっきみたいにまとめて上げていた方がいいよね?」
「うむ、助かるっ」
「じゃあ…」
思い返してみれば、陽だまりのような髪に触れたことは幾度もあれど、結びまとめたことはない。
蛍は少し緊張の残る面持ちで、濡れていつもより大人しい焔色の髪に手を伸ばした。
「痛かったら言ってね」
「問題ない。寧ろきつく結んでくれた方がいい」
「そうなの?」
「俺の髪は見ての通り剛毛だ。蛍の髪のように柔く結べば、紐でも髪留めでもたちまちに弾き飛ばしてしまう」
「ふふっ、弾き飛ばすって」
「笑ってくれても構わないが、どれも事実だぞ」
「え。そうなの」
確かにどんなに濡れて萎んでしまっても、乾けばぴんと杏寿郎の性格のように上を向く根力が強い髪の毛。
触れば弾力はあれどふわふわと柔くも感じて、剛毛と呼ぶ程でもないと蛍は笑ったが、真顔で返されてつい同じに真顔になってしまう。
「じゃあいつもまとめている髪も…」
「きつく縛り上げている。多少強めに結んでも、この毛根なら大した痛手にもならないからな」
「そうなの…凄いね…」
「ああ。だから強めに頼む!」
「う、うん」
改めて、今度は心構えをして手を伸ばす。
最初こそ恐る恐るという手つきだったが、どんなに撫でつけても押し返すような杏寿郎の毛根の強さには、蛍の手もやがては遠慮を控えた。
「瑠火さんの髪の毛は、凄くさらさらな感じがしたから。これはもう槇寿郎さんの遺伝かなぁ」
「ははっそうだろうな! だが千寿郎の髪は俺よりも柔いぞ。自分の髪だから違いがよくわかる」
「そう?…あ、でもなんとなくわかるかも…杏寿郎の髪はふわふわって感じだけど、千くんの髪はこう…ふやって感じ」
「…ふや」
「うん。ふやって。杏寿郎のは、ふわふわ」
「…ふわふわ」
「あ。わかってない声」
「うむ! いや! わかるぞ!! ふやとふわの違いはよくわからんが、蛍の言いたいことはわかる!」
「そう? なら槇寿郎さんの髪はどんな感じかなぁ」
「そうだな…ぅぅむ…」
「ぶわって言うより、は…もふもふ…も、なんだか違うし。そもそも触れたこともほとんどないけど、こう…」
「へたっ!という感じではなかろうか!」
「へた。」
「へた!」