第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
最初はゆっくりと。
旋回するように、髪紐の周りを尾を揺らし泳ぐ。
すると無機物である髪紐がふわりと波に起こされるように宙に浮いた。
周りを尚も囲むように泳ぐ朔ノ夜から、波を線で描くような黒い紐が流れ出る。
しゅるしゅると髪紐に纏い織り込まれていく様は、まるで一種の芸術過程を見ているかのようだった。
魅入る杏寿郎の眼下で、瞬く間に出来上がったのは影を纏った髪紐──ではない。
形は普通の髪紐と変わらない。
ただ一つ違うのは、蛍の着物を花嫁衣装に変えた時のように、光の加減でゆらりと煌めく。
黒を基調としながら、色鮮やかな髪紐へと成り代わった。
「…見事だな…」
つい目が釘付けになってしまう。
目に優しく反射する髪紐をじっと見ていれば、やがて音もなくそっと元の蛍の掌へと舞い戻った。
「元の髪紐を土台にしてるから、万が一術が解けても髪は解けないから。問題ないと思う」
「うむ。ありがとう」
そんな心配はしていないが、些細な心遣いが蛍らしいと顔は綻ぶ。
差し出されたままに受け取ってみれば、丈夫さだけに重きを置いていた髪紐は、洗練された美しい編み込みの飾り紐へと変わっていた。
矢羽模様を連想させるような四つ編みは、光の加減で一つ一つの模様が別の色味に煌めく。
不可思議ながら目を見張るような鮮やかな飾り紐は、杏寿郎もどの市場でも目にしたことはない。
きっちりと編み込んであるというのに、心無しか紐が軽くなったようにも感じる。
試しに摘まんでみれば、今までにはなかった伸縮性も感じられた。
「見た目だけでなく性能まで変わったのか?」
「そんな大袈裟なものじゃないけど、頑丈にはしたつもり。多分ただの刃物なら切れないと思う」
「…よもやよもやだ…」
正に人智を超えた力と言える。
心の底から感心の音を漏らせば、蛍は気恥ずかしそうに苦笑した。
「ちゃんと使えないと意味はないけど、ね。試してみる?」
「うむっ」
最初こそ慣れた仕草で髪をまとめようとして、ふと思い立つと杏寿郎はその場で背を向けた。
「折角だ。蛍が結んでくれないか?」