第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「確かに丈夫なことは必要条件だが、蛍が選んでくれた髪紐なら俺はそれを身に付けたい」
「それは…」
嬉しいことには嬉しい。
だからこそ最善のものを贈りたい。
(杏寿郎も、こんな感じだったのかな)
用途は違えど、特注で作られた銀の櫛は杏寿郎の拘りが随所に見て取れた。
それだけ悩み、思案し、作り込んでくれたのだろう。
それだけの想いを込められたものだから、胸も熱くなったのだ。
「じゃあ…丈夫さなら、私の影を織り交ぜるとか。そうすれば並みの髪紐より強くはなると思うけど…」
なんとなしに思い付いたものだった。
立てた蛍の人差し指の先に、皮膚から滲み出た糸のように細い影が幾重も重なり織り込み、一本の紐を形作っていく。
「でもこれじゃ贈り物っていう感じでも──」
「成程、名案だな!」
「えっ」
「蛍の影鬼を編み込むとあらば、この世に唯一無二のものとなるだろう? 俺はそれがいい!」
「ぇえっ」
途端に顔色を変える杏寿郎は、大層乗り気だ。
その言い分はわかるものの、血鬼術を使った髪紐など。
「そ…そんな、影鬼だよ?」
「そうだな!」
「そんなもの使った髪紐なんて…」
「なんて、なんだ?」
「……」
その先の言葉は出てこない。
それでもまるで心を読むように、杏寿郎は笑みを称えたままそっと蛍の人差し指を立てた手を握った。
「前にも言っただろう。君の血鬼術は優しい闇だ。そこに俺は負の感情など持っていない。千寿郎との約束が叶えられたのも、駒澤村を童磨の術から守りきれたのも、影鬼だからこその結果だ」
握る体温と等しく、蛍を見つめる双眸は温かい。
「君の影はいつも他が為に力を宿す。蛍そのもののようだと、俺は愛おしく思う」
緩やかに引き寄せた指先には、もう小さな影は舞っていない。
しかしそこに望むべきものがあるように、杏寿郎は恭しく細い指に口付けた。
「蛍だけが生み出せるものだ。それを常日頃身に付けられるのなら、それ程嬉しいことはない」
「……」
「俺はそれがいい。術の発動が蛍の負担にならなければ」