第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「…姉さんとね」
「ん?」
「二人で暮らした家の周りは、民家が少なかったから。星空がよく見えたの」
「ふむ。ならば我が生家とは随分と景色が違ったのだろうな」
「うん。あんなに大きな町には住んでなかったから。不便なこともあったけど、だから見えるものもあったよ。この星空みたいに」
ぽつん、と。雫を水面に静かに落とすかのように、蛍はいつも身の上を話し出す。
話の邪魔にならない程度に相槌を打ちながら、そこに耳を傾けるのが杏寿郎は好きだった。
滅多に語らなかった過去を、思い出のように告げてくれるようになった。
それは姉を過去のものとして蛍が認識するようになったからではない。
姉の生き様を受け入れて、認められるようになったからだ。
己が踏み台にしたのではなく、人としての命を繋いでくれたのだと。
「ただ私の家は周りが林だったから、覆う木の枝でこんなに開けた星空じゃなかったけど…」
「そうか。自然に恵まれた土地だったのだな」
「それは、そうかも。でもここの星空は…まるで落ちてくるみたいだね」
「落ちる?」
「ん、」
膝を抱いて、空を見上げたまま。
鮮やかな緋色の瞳に、きらきらと映し光る星屑たち。
「なんだか、今にも…瞳の中に降りそそいできそうな感じ…」
蛍の告げる通り、その深く澄んだ緋の底に降りそそいでいくように。
小さな小さな光の粒が、吸い込まれるように輝いている。
「…綺麗だなぁ…」
神幸祭最終日の夜。花火の光を受けては輝く、蛍の横顔を見た時とはまた違う。
目を凝らさなければ、見つけられないような刹那の煌めき。
無意識に杏寿郎の喉がこくりと嚥下する。
発することのできない言葉を呑み込んで、ただただ吸い込まれるような深い緋色を見つめた。
(嗚呼、本当に)
また同じことを、と蛍に返されてしまうかもしれない。
それでも心の底から感じてしまうのだから仕方がない。
「今日は雲もないから、本当に星がたくさん──」
降りそそいでくる。
その輝きが蛍の視界から、ふと途絶えた。