第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
花嫁姿を見ていたいと言われたのだ。
重々理解はしているし、自分のことのように喜んでくれる杏寿郎が愛おしいとも思う。
それでも今宵何度も逸れた視線は、常に左傾め上へと向いていた。
無機物である櫛に嫉妬したりはしないが、つい物申したくなったのは快楽が蓄積していた体にもあったのかもしれない。
杏寿郎の顔を見ていたい。
そう主張しようともしたが、その度に巧みな責めに溺れて快楽に飲まれてしまった。
何度も後ろから責め立てられ、見えない姿を追うように肌に縋るばかりで。
ようやく真正面から視線を交えることができたかと思えば、愛情に満ち満ちて見つめる先は再び自分の顔の斜め上。
物申したくもなるというものだ。
「私の旦那様は、煉獄杏寿郎さん」
「ん、む」
伸びた手が、むにりと杏寿郎の両頬を押して包む。
「旦那様の花嫁は?」
「彩千代蛍」
問えば間髪入れずに返される。
先程の戸惑いが嘘のように、真っ直ぐに射貫いてくるような双眸は真意しか灯っていない。
当然の如く返された解答にぱちりと蛍は目を瞬くと、少し恥じらうように視線を流した。
「なら…"私"を、見ていて」
乞うような緋色の瞳が、今は己を映していない。
その姿に、胸の奥から熱い何かが湧き立つ。
熱に突き動かされるまま杏寿郎の体は動いていた。
がばりと初動もなく筋肉のみで上半身を起こすと、流れるように身を捻る。
蛍の両肩を握りふわりと起こし、背に手を添えると反動を与えずにシーツとアネモネが乱れる波に乗せた。
この間、一秒。
「ひゃ…っ?」
悲鳴のような嬌声のような。蛍の腑抜けたその声が途切れる前に、息ごと杏寿郎の口が喰らい付くように塞いでいた。
「んぅ…ッ」
息つく暇もなく反転した体は、易々と屈強な体躯に組み敷かれる。
深い口付けに驚くも、蛍の体は逃げ出す素振りを見せなかった。
奪うように覆う唇も、味わい尽くしてくる舌遣いも、熱に浮かされた隙間吐息も。
「はっん、ふ…っ」
余すことなく受け入れ、そして蛍もまた求めた。