第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「じゃあここは杏寿郎専用ね」
「俺…せんよう?」
「うん」
いつもははきはきと滑舌よく回る下が、拙く問いかけてくる。
そんな様も幼子のようだとくすりと笑い、蛍は柔らかな焔色の波に顔を埋めた。
「杏寿郎の為にいつでも空けておくから。欲しい時は言って。何処ででも駆け付けて、ぎゅってしてあげる」
「俺専用…俺だけの為の蛍なのか…?」
「うん」
「俺だけ、ぎゅっとされるのか」
「ふふ。う──…ん?」
「ん?」
「千くんもぎゅってしたい」
「む。」
「あはは、ごめん。千くんも…禰豆子や、すみちゃん達なんかも。ぎゅってしたい子は沢山いるけど。でもこんなふうに触れるのは杏寿郎だけ」
ひとつ、ふたつと髪や額に口付けては頬擦り寄る。
愛おしげに見つめた杏寿郎の唇にも、そっと温もりをわかち合った。
「こんな感情になるのは、杏寿郎だけだよ。さっき話してくれたみたいに」
馴染む蛍の顔を、反応を見る度に安心するのだと。ほっとして胸があたたかい想いで溢れるのだと。
そう告げてくれた杏寿郎の気持ちと異なるようで似ている。
「杏寿郎が私に甘えてくれるとね。胸がぎゅってなるの。でも痛くない。…柱の皆と一緒に行った初詣、憶えてる?」
「ああ…懐かしいな。蛍と柱の皆とで、初めて本部の外に赴いた日のことだ」
「うん。あの時見た初雪にね、触れたけど。寒くなかったの」
「寒い…それは冷たいとは違うのか」
「ふふ、そうだね。冷たいだね。うん、触れると冷たかった。でも寒さは感じなかった。防寒具を着ていたからじゃないよ」
あの時素直に口をついて出た思いを拾ったのは、傍にいた蜜璃だけだった。
「心がね、温かかったの。鬼である私と一緒に年の始まりを楽しんでくれた、皆が周りにいてくれたから」
何より、両手にそれぞれ握り返してくれた温もりがあった。
手を繋いでくれた左右には、杏寿郎と義勇。
支えてくれるそれぞれの温もりと歩んだ道は、自然と足が軽くなるように弾んだのだ。
「それと同じ。胸が締め付けられるのに、痛くない」