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いろはに鬼と ちりぬるを【鬼滅の刃】

第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは



 母と子。
 それだけの関係でいられなかったのは、瑠火が幼い杏寿郎に残した誓いのような言葉でわかる。

 膝枕一つ取っても、杏寿郎の記憶の中では自ら母に頼んだことはないという。
 そんな経験の浅さ故に、幼子のような期待と楽しみを入り交えたような表情をしているのだろうか。


「杏寿郎」

「ん?」


 今はもう触れられない過去に想いを馳せては、蛍の胸が甘く締まる。

 切ない思いではない。
 あたたかく、愛おしい思いで。


「ん」


 両膝で立つと徐に両手を広げる。
 杏寿郎の前で腕を広げる蛍は、迎え入れるように相槌だけで誘った。


「ん?」

「…ん」


 つい先程の食事で、口を開けて強請った杏寿郎のように。
 頸を傾げる杏寿郎に、同じように軽く頸を傾けてはらりと肩に後れ毛を落とす。

 最初こそ笑顔で頸を傾げていた杏寿郎だったが、ぽかんと目を丸くするとまじまじと蛍を見つめた。
 晒した肩に、着崩れた花嫁衣装は健在なまま。
 辛うじて胸は隠れているが、柔らかな谷間が見える。
 そこについ目が奪われてしまうのは、邪な欲に染まったからではない。

 頸を傾げて微笑む蛍の空気に、何故か肩の力が抜けた。
 ゆっくりと重力に従うように身を傾ければ、細い腕がそっと頭を包み込む。

 ふわりと柔らかな匂いに包まれる。
 顔を埋めた胸も、頭部を包む腕も、頭を撫でる指先も。
 どこもかしこも柔らかな、真綿に包まれるような優しい抱擁。


「…蛍…これは…」

「したくなったから、しただけ。駄目だった?」

「…ぃゃ…」


 膝枕の時と同じ。
 よしよし、とあやすような細やかな音色が耳を癒す。
 ふわりと甘く頭を撫でる掌が心地良い。

 深く息を吸えば、胸いっぱいに甘酸っぱさが残る夜の香りが広がる。
 蛍の匂いだ。


「……」


 肩だけでなく瞼さえ落ちていきそうな程、杏寿郎の体から自然と力は抜けていた。
 深く息を繋いで零れたのは、安心感に満ちた吐息。

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