第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
反射的に飲み込む杏寿郎の喉が、こくりと上下する。
大半の水は飲み込めたが、驚きで零れた水滴が顎を伝い、音もなく二人の重なる着物の間に落ちた。
「ん…私は、飲まなくても平気。杏寿郎が、ちゃんと水分を取らなきゃ」
ゆっくりと顔を離して、はふりと息をついて笑う。
蛍の顔はまだ少し上気していたが、呼吸は乱れていない。
「う…む」
蛍の余韻を残すような色香を纏う顔を前に、思わず喉が別の意味でごくりと上下する。
唖然と頷きながらも、杏寿郎ははっと顔を上げた。
「しかし蛍も疲労しただろう」
「大丈夫。少し休んだら、体力も戻るから」
良くも悪くも鬼の体。
何度抱き潰されてもついていく自信はある。
少し気恥ずかしそうにはにかみながら、蛍の手が新たな水を湯呑に注ぐ。
「はい。ちゃんと喉を潤してね」
「蛍…では君も血」
「要らないよ。言ったでしょ。私は大丈夫」
見透かしたように、杏寿郎の唇にぴたりと人差し指を当てて。
「血の代わりになるものなら、ちゃんと貰ってるし…だから大丈夫」
乱れた花嫁衣裳の上から、腹部にそっと手を当てる。
ほんのりと頬を赤らめながら告げる蛍の姿を前にしては、野暮なことは言えなくなる。
「私は、これだけでいい」
ゆるりと身を預けたまま、杏寿郎の肩に頭を乗せる。
ほ、と安堵にも似た吐息が蛍の口から零れた。
「謝らなくていいよ。私も気持ちよかったから、夢中になってたのは同じ」
体力には自身がある方だが、まだまだ修行が足りないのか。今一歩、雄の顔を見せる杏寿郎の欲には負けてしまう。
「体力が続かなくてごめんね」と苦笑混じりに謝れば、湯呑を畳みに置いた杏寿郎の両手が労わるように抱きしめてきた。
「俺は男で、君は女だ。俺の欲を全て受け止めてくれているのは蛍なんだ。俺よりも負担が大きいのは当然だろう」