第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
ひくひくと小波に揺れる蛍の肌を、視覚と触覚とで感じ取る。
己の下唇を舐めながら顔を上げれば、片腕を額に当てて息をつく蛍が見えた。
「うん。小さなものだがちゃんと気をやれたな」
僅かなものでも絶頂は絶頂だ。
満足そうに笑って頭を撫でれば、こちらを向いていた目がどことなく逃げるように他所を向く。
「蛍?」
「…ん」
呼べば律義に応えはする。
それでも羞恥が混じるのか、視線は合わない。
「杏寿郎は…なんでもかんでも、見え過ぎだよ…」
額に当てていた腕を口元に下ろして、ぽそぽそと告げてくる。
そのなんとも可愛い主張に、頬の緩みを止められなかった。
「見え過ぎか?」
「私の体が…私の体じゃないみたい…ぜんぶ、杏寿郎のものみたい、で…」
「それは願ったり叶ったりだ。蛍は俺のものになるのは嫌か?」
「嫌じゃ…ない…けど…」
指先と舌先一つで高みへといとも簡単に昇らされて、絶頂の波の大きさまで正確に当てられて。
杏寿郎には心の内側まで覗く千里眼があるのではないかと偶に思うことがあるが、今もまたそうだ。
まるでその掌の上で踊らされているようで、嬉しい反面自分でさえも知らない感覚を知り尽くされた気がしてしまう。
「私の、ぜんぶ…見破られていたら……味気ない、かな…って」
「む?」
頸を傾げる杏寿郎から未だ目を逸らしたまま。更に蚊の鳴くような声で、蛍は恥ずかしそうに身を捩らせた。
「杏寿郎にとって当たり前に、なってしまって…あんまりどきどきしてくれなくなるかな…とか…」
柚霧として身売りをしていた習慣があるからこそだ。
男は飽いたら次の女へと簡単に移ってしまう。
その心と体を繋ぎ止める為に、敢えて全ては晒さず未知の一面を持つことも女郎として必要な駆け引きの一つだった。
杏寿郎相手に女郎の心構えでいようとは思わない。
しかしこうも毎回抱かれる度に掌で転がされていては、杏寿郎も新鮮味がなくなってしまうのでないだろうか。
余りに見透かされることの多さに、つい蛍の口から零れ出た本音だった。