第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「でも継子としての立場というか…杏寿郎の師範としての威厳というか…そういうの…」
もごもごと言葉を濁すようにしてグラスに口をつける。
そんな蛍の言動にきょとんと目を向けると、やがて眉尻を下げて困ったように杏寿郎は笑った。
「君は本当に、自分より他人ばかり気にするものだな」
「それは、そうだよ。だって私はただの継子だけど。杏寿郎は鬼殺隊でなくてはならない柱でしょ? その立場を私の──」
「蛍」
その先の言葉は聞かずとも知っている。
何度も蛍が見せてきた姿勢だ。
鬼と人。
日輪刀を持たない継子に、由緒ある名家の炎柱。
誰しもがその肩書きだけで、どちらを優先すべきか。自ずと答えは一つに絞られるだろう。
だからこそだ。
「君のその性格はよく知っている。それが君の美点だとも思う。だが全てにおいてではない」
だからこそ、その絶対的立ち位置を唯一否定できる自分だけは、見るべきものを見つめていたいと強く思う。
「どんなに位が高く、人徳があり、力を持つ者でも。非の打ちどころがなくとも完璧な者などいない。それは俺にも当てはまることだし、君にも勿論該当することだ」
「え。…っと、つまり…?」
頸を傾げる蛍の前で、大ぶりの海老天婦羅を箸で掴む。
その海老天で蛍を示すように向ける。
どんなに豪快な食べっぷりを見せていても、瑠火の手で育て上げられた杏寿郎の食事の所作は綺麗なものだった。
そんな杏寿郎の、言うなれば指し箸のような行儀の悪い行為に蛍の目が止まる。
「俺は今、継子として立派に責務を果たそうとする蛍以上に、俺しか見えないような顔で甘えてくれる妹背の蛍が欲しい」