第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「──うまい!」
「……」
「うむ、これもうまい!」
「……」
「むっこのみょうがの天婦羅も…っうまい!!」
「……」
「どうした蛍。君は飲まないのか? 好きだろう、酒」
「そんな人を飲兵衛みたいに…好きだけど。飲むけど」
ぱくぱくと美味しそうに目の前の料理に舌鼓をうつ杏寿郎。を、なんとも言えない表情で見ていた蛍が渋々と目の前のワインボトルと空のグラスに手を伸ばす。
「待て、折角だ。俺が注ごう」
「あ、どうもありがと…って違う」
「む?」
「なんで杏寿郎はそんな平然と…平然してるの」
「平然と平然する。ふむ。新しい用語だな!」
「凄く平然としてるってことです。あんなところ…」
見られたのに、という言葉は皆まで出ず。
こぽこぽとグラスに注がれるワインの隣に、蛍は堪らず顔を突っ伏した。
「絶対にばれちゃったよね…」
なにせ老婆は仲睦まじきこと、と笑顔で告げたのだ。
ただの師弟が入浴を共にすることなどありえない。
杏寿郎と蜜璃が共に混浴経験があることをふと思い出したが、あれは二人が規格外だっただけだ。
本来なら男女で裸を見せ合うのは、特別な関係であるからこそ。
更には抱いて抱かれて。
肌を密着させていた姿は、もう言い訳のしようがない。
「ふぅむ…否定はできないな。あの御尊老なら無暗に言いふらすこともなかろうが、広まらないとも言えない」
「…ぅぅ…」
「しかしそこになんの問題がある?」
「え」
ワインを注ぎ終えたグラスを蛍の目の前へと、進めるようにそっと押し出す。
「無暗矢鱈に広める気はないが、他人に知られてもいいと俺は思っているぞ。それが鬼殺隊に関与した人々でも、そうでない人々でも。蛍にももう十分、その姿勢は伝わっていると思っていたが」
「…それは、まぁ」
声を大にして発表するつもりもないが、隠す気もない。
杏寿郎のその心持ちは蛍も知っていた。
おずおずと顔を上げて、手持ち無沙汰にグラスを手にする。