第28章 それゆけ、謙信様!*遁走編*
「さて…報告しろ」
「は」
ぱちん、と扇子を片手で閉じた信長の口調は愉しげだが、その眼は笑っていない。その命に頷く秀吉を横目に、桜は震えそうになる体を叱咤しながら、目の前の信長の顔を見つめる。
「我々が踏み込んだ時には、既に上杉の姿はなく…代わりに桜を見つけて連れ帰りました」
「ふん…いち早く察知して逃げたか」
それとも、と信長が桜を見下ろす。
「貴様が逃がしたか」
「……」
広間に沈黙が落ちる。黙って桜の返事を待っている武将達からの圧力に、覚悟を決めたはずの心が揺らぎそうだ。
「貴様が本当に上杉を逃がしていたとして、特段驚きはせん…貴様なら、敵でも命を守ろうとするだろうからな」
「…その通りです」
何でも全てお見通しの安土城主にはかなわない。正直に頷いた桜の反応に、男達から呆れるようなため息が漏れた。
「ならばいい。だが…貴様は何故あの場にいた」
「それは」
緩みかけていた緊張が、再び桜を支配する。握りしめた両手は、力が入りすぎて白く色を変えている。
言うなら、今しかない。
「信長様、この城を出ていく事を許して下さい」
不意打ちともいえる桜の言葉に、一瞬しんとした広間が大きくざわついた。動揺したように顔を見合わせる武将達を尻目に、信長だけは何か考えるようにじっと黙っている。
「出ていく、とは…?」
「そういうことか」
呆然としたような三成と、何かを悟ったような光秀がほぼ同時に言葉を発した。ざわめきが落ち着いたのを見計らい、桜は口を開く。
「春日山へ、謙信様のもとへ、行かせてください」
「そんなことが、許されると思うの」
「お前は俺達を捨てて、上杉謙信の所へ行くって言うんだな」
家康がぼそりと呟く横で、政宗が吐き捨てるように告げた。改めて言葉にされると、桜も辛い。それは違うと否定をしたいのに、桜が望むことを客観的に判断すれば、政宗の言葉に間違いは何一つない。