第35章 過去編:名前のない怪物
「――ぅぁ!」
「泉?!おい、どうした?!」
「ジジィ!テメェ、日向チャンに何を?!」
頭を抱えたまま蹲った泉を、慎也は庇うように抱き締める。
「――無闇やたらと、『秘密』の揺りかごを揺らしたからだ。」
センバはそれだけ言えば、重い口を開く。
慎也は泉を抱き締めたまま、センバの話に耳を傾ける。
センバの話によると、やはり被害者少女は十数年前から扇島で売春をしていた少女に間違いないことが分かった。そして彼女に双子の兄がいたことも。
少女は殺人という悪癖が顕著になってしばらくすると扇島から忽然と姿を消したらしいが、兄の方はその後も数ヶ月ここで一人生活を続けていたらしい。その後人権擁護団体に保護されてからの消息は、センバの知るところではないと言う。
佐々山が藤間幸三郎保護時の官報記事を見せると、センバは大きく頷いて言った。
「間違いない。彼が、彼女の双子の兄だ。」
泉は意識が混濁しながらも、センバの話を聞いていた。
意識が現在から過去へと混濁する中、槙島の顔が巡る。
「――その子の揺りかごも揺らす気か?」
センバは慎也の腕の中で頭を抱えている泉を指差して静かに呟いた。
時刻は既に午前6時を回ろうとしていた。
慎也は泉を抱きかかえたまま、センバの菜園を後にした。あれほどまでに辿り着くのに苦労した菜園だったが、センバの言う道筋を忠実に辿ると驚くほど呆気なく外に出る事が出来た。
真冬の早朝の空気が、二人の頬を刺す。
その空気の冷たさに、泉は少しだけ落ち着きを取り戻した。
「――慎也。降ろして。もう大丈夫。」
「無理するな。」
「大丈夫。歩きたいの。」
その言葉に、慎也は仕方なく泉を降ろす。
自分の足で立った泉は、大きく冬の冷たい空気を吸い込んだ。
「――日向チャン。大丈夫なのか?」
心配そうに佐々山が問えば、泉は二人を振り返る。その顔は恐ろしい程、清清しく笑っていた。
扇島は『秘密』たちの揺りかごだ、と言うセンバの言葉が慎也の耳に妙に残る。
しかし、どんな夜も明けるのだ。『秘密』はいつか白日の下に晒される。慎也は夜明けの気配を称えた空を見上げてから泉を見る。