第116章 手が届かないよりも、手の届くのに触れられない方が辛い。
てっきり問い質されているのだと思っていた。だがそうではないらしい。ただ葵咲に道を示したいだけ、といったところだろうか。
松本は葵咲から目を反らし、腕組みしながら次なる言葉を紡ぐ。
松本「勿論、彼がそれを求めるのであれば、誠意を持って答えた方が良いと思います。ですが彼が望まないのなら、敢えて貴女の口から言う必要はない。“知らぬが仏”という言葉もあります。必要な時期に必要な事だけで十分です。」
葵咲「・・・・・。」
葵咲の事を、葵咲の心を護ろうとしてくれている。その事が伝わってくる。だが素直には喜べない。事が事なだけに頷けない。葵咲自身の中でも迷いがある為だ。このまま話さないわけにもいかない、と。
浮かない顔をして再び俯く葵咲。そんな心情を読んだように松本は続ける。
松本「ですが、貴女が心苦しいというのであれば、伝えても大丈夫だとも思います。」
葵咲「!」
松本「彼は、彼なら。貴女の全てを受け入れてくれると思います。“過去”は伝えても伝えなくても。貴女の素直な“今の気持ち”を受け止めてくれると思います。貴女も籠から出ても良いのではないでしょうか。」
葵咲「短英さん…。」
まるで葵咲の想い人が誰か分かっているかのように話を進める松本。葵咲は何とも言えない表情を浮かべて再び松本の目を見据える。松本はフッと笑みを漏らして葵咲の瞳を見返した。
松本「勿論、彼がその答えを求めたとしても、貴女が話す事を躊躇うのなら話す必要はありません。貴女に辛い思いはして欲しくない。私は他の誰でもない、貴女に幸せになって欲しい。だから、貴女の心が楽なように。貴女の気持ちに正直になって下さい。」
気遣い溢れる言葉を受けて葵咲は少しの沈黙を落とす。だがやがて、笑みを零しながら頷いた。
葵咲「・・・・ありがとうございます。」
葵咲の言葉を聞いてニコリと微笑み返す松本。松本は本当に人を見る目があるのだろう。素晴らしい観察眼だ。その事に気付いた葵咲は、松本には隠し事は出来ないなと思った。