My important place【D.Gray-man】
第47章 リヴァプールの婦人
ティキの言葉に、大人しく抱かれていた雪の指先だけが微かに反応した。
一瞬震えただけだったが、それに呼応したのは幾重も雪へと手を伸ばしていた沼の触手達。
ゆるゆると穏やかな速度で伸ばしていた無数の手が、一斉に動きを変えた。
獲物に飛びつく蛇のように、音も無く速度を変えた手が掴み掛かってくる。
「っ!」
雪目掛けてか、ティキ目掛けてか。
どちらにせよ目の前に広がる沼から限りなく現れる手に捕えられてしまえば、二人共呑まれてしまうだろう。
咄嗟に片腕を振るうティキに、ぶんっと空気が振動した。
バチャ!
まるでティキと触手の間に見えない壁ができたかのように、何かに衝突し弾ける真黒な手。
液体と化しぼたぼたと滴り落ちるそれは無力化したようにも見えたが、それだけだった。
次から次へと掴み掛かってくる手には限りがない。
(ティキ、雪にとって親への冒涜は鬼門だ。言葉を選べ)
「別に冒涜したつもりはねんだけど?」
雪の夢に浸っている時は滅多なことでは声を掛けてこないワイズリーの忠告が、ティキの脳内に響く。
それだけ危ういということなのだろうか。
ティキに抱かれたまま、身動ぎ一つしない雪は何に対しても無気力に見える。
しかしその内側には、この無数の真黒で暗い思いが渦巻いているのかもしれない。
「…は。すげ」
"怒"のノアがどのような能力を有するか、それは以前の怒のノア、スキンの存在でティキも知り得ていた。
故にこれはノアの能力ではない。
此処は雪の世界だ。
ワイズリーも目の前の景色に介入していないのは一目瞭然。
これは全て、雪自身が作り出したもの。
おぞましい程に増えた幾重もの手の塊を見下ろして、ティキは笑った。
「これ全部相手にすんのは、きついかもな」