My important place【D.Gray-man】
第47章 リヴァプールの婦人
✣ ✣ ✣ ✣
「───…」
ゆっくりと落ちていく。
暗闇の中。
落下と言うには多少異なる。
それは水中を音もなく沈んでいくような光景だった。
一人。
緩やかに癖の強い髪を靡かせながら、闇の奥深くへと落ちゆくはティキの姿。
(今回はどれくらいの"深さ"なんだ?)
否、其処にはもう一人ノアの存在が在った。
(五分五分と言おうか。あまり深い夢路ではない)
脳内で問い掛けるティキの声に応えたのは、この世界の創造主と言っても過言ではない。
大本は今から向かう者の心に在る世界だが、色や景色や温度さえも詳細に形作っているのはこの声の主だ。
(ふーん…でもそう悪くもないんだろ?最近、雪のメモリーを感じることもあんまねぇし)
雪の持つ"怒"のメモリーの強さは身を持って知っている。
悪夢のように魘されて起きる程の衝撃だ。
ちらほらと記憶の断片のようなメモリーは感じつつも、あのへブラスカの間で見せた強い衝撃は、あれ以来感じることはなかった。
それだけ雪の心が憎悪や哀傷で苛まれていないと言うこと。
そう思えば自然とティキの声にも安堵の色が混じる。
(そうだのう…)
(? なんだよ、その返事。何か気になることでもあんの?)
しかし脳内に返されたワイズリーの声は、なんとも心許無いものだった。
何か気に掛かることでもあるのか。
ゆっくりと音も無く、地も見えない闇の中心に足を着けたティキは無の空を仰ぐ。
(…なに。主の"快楽"のメモリーは"怒"とは異なる意味で強いものだ。入り込み過ぎると影響が出てしまうから気を付けることだのう)
返されたのは望んだ応えではないような気がする。
しかしそれ以上応える気のないワイズリーの無言に、ティキは軽く肩を竦めて見上げていた目を背けた。
応える気がないのなら無理に問い質す気もない。
時間は限られている。
今己がすべきことは、目の前にあるのだ。
何もない暗闇の中に宿る、微かな光。
それを目印に道無き道を進めば、やがては見えてきた。
滴る水の音と、頭を垂れて咲き乱れる追憶の花々。
その片隅に立つ、真白なワンピースを身に纏った彼女が一人。
雪の心の中だ。