My important place【D.Gray-man】
第44章 水魚の詩(うた)
"ねぇ、この花知ってる?蓮華の花"
淡い花の残像。
それとは違う、まだ開花していない無数の蓮華の蕾に囲まれて、あの人は俺に笑いかけていた。
"泥の中から天に向かって生まれて、世界を芳しくする花なのよ"
蓮華の花のようだと云われた。
泥の中で咲き世界を芳しくするその生き様が、まるでエクソシストの相を顕しているようで。
愛しいと、あの人は云った。
…違う。
あの人が笑いかけていたのも、蓮華のようだと例えたのも、"俺"じゃない。
死んだこの記憶の持ち主である"俺"だ。
今の俺は、そんな綺麗なもんに例えられるようなエクソシストじゃない。
モヤシのようにAKUMAの魂を救済したいだなんて思いも、リナのように教団の人々を守りたいだなんて思いもない。
俺がエクソシストとして生きているのは、唯一記憶が求める女性一人の為。
俺は花なんかじゃない。
泥水の中で、天へと伸びる蓮華を乞い見上げるだけの魚のようなものだ。
所詮は暗い泥水の中でしか、俺の生きる価値はない。
残像に縋り、朽ちた屍を食い荒らして地べたを進むだけ。
アルマと共に生きていた頃。
地下研究所から、よく地上へと思い馳せて焦がれていた純粋な思いは、そのアルマと共に朽ち果てた。
青く澄み切った空。
俺はそれを知っていた。
何処までも続く広い空を情感的に見る心を、きっと生前の俺は持っていた。
今の俺にはもう無いもの。
空を知っていたはずの翼は捥がれ、焦がれ届かせる為の腕もない。
あるのは泥の中を進む為の足だけだ。
それでも。
それだけしか残っていなくても、あの人の為に俺は───
「それ、大変じゃないの?」
はたと意識が目の前に引き戻された。
雪の声で、思考がそれこそ泥の中に沈んでいたことに気付く。
「そんなに視界に映るものなら…ほら、任務でAKUMAと対峙する時とか。邪魔にならないのかな…大丈夫かな」
そんな俺の暗く薄汚れた思考なんて気付いていないんだろう。
目の前で至極真剣に語る雪は、片手を口に当てて唸っていた。